利用報告書 / User's Reports


【公開日:2024.07.25】【最終更新日:2024.05.10】

課題データ / Project Data

課題番号 / Project Issue Number

23MS1030

利用課題名 / Title

水素結合を有する遷移金属錯体における磁気的性質の重水素置換効果

利用した実施機関 / Support Institute

自然科学研究機構 分子科学研究所 / IMS

機関外・機関内の利用 / External or Internal Use

外部利用/External Use

技術領域 / Technology Area

【横断技術領域 / Cross-Technology Area】(主 / Main)物質・材料合成プロセス/Molecule & Material Synthesis(副 / Sub)計測・分析/Advanced Characterization

【重要技術領域 / Important Technology Area】(主 / Main)量子・電子制御により革新的な機能を発現するマテリアル/Materials using quantum and electronic control to perform innovative functions(副 / Sub)高度なデバイス機能の発現を可能とするマテリアル/Materials allowing high-level device functions to be performed

キーワード / Keywords

水素結合、超交換相互作用、結晶構造、磁気的性質、重水素置換効果


利用者と利用形態 / User and Support Type

利用者名(課題申請者)/ User Name (Project Applicant)

藤田 渉

所属名 / Affiliation

東京海洋大学海洋電子機械工学部門

共同利用者氏名 / Names of Collaborators in Other Institutes Than Hub and Spoke Institutes
ARIM実施機関支援担当者 / Names of Collaborators in The Hub and Spoke Institutes
利用形態 / Support Type

(主 / Main)機器利用/Equipment Utilization(副 / Sub)-


利用した主な設備 / Equipment Used in This Project

MS-205:単結晶X線回折(CCD-1)
MS-206:単結晶X線回折(CCD-2)
MS-209:粉末X線回折
MS-219:SQUID(MPMS-XL7)
MS-220:SQUID (MPMS3 DC)


報告書データ / Report

概要(目的・用途・実施内容)/ Abstract (Aim, Use Applications and Contents)

水素結合(-O•••H–O–など)はDNAの複製やタンパク質の高次構造など、生命現象に欠かすことのできない希有な分子間力である。水素結合におけるプロトン位置や状態は、熱、圧力印加、電場印加などの外部刺激に対して、敏感に変わり、水素結合周囲の構造にわずかな影響が現れることが知られている。我々はこのような動的性質を有する水素結合を磁性体内部に導入することで、外部刺激に応じて磁気的性質が変化するような物質の創製を目指している。先行研究では、グリコール酸銅([Cu(HOCH2COO)2])に着目した[1]。この物質は二次元正方格子磁気ネットワークを有し、二次元正方格子間には配位子の水酸基とカルボキシ基との間に水素結合が存在する。この物質の結晶構造解析と磁気測定を行ったところ、218 Kで構造相転移を示し、極低温磁気測定により1.1 Kで強磁性転移を示すことを発見した[2]。さらに配位子の水酸基の水素原子(HOCH2COO)を重水素原子で置換することにより、構造相転移温度が285 Kとなり、水素結合がこの構造相転移に大きく影響していることを突き止めた[3]。一方、強磁性転移温度は軽水素体と重水素体との間では差がほとんど認められなかった。この結果は重水素置換効果が磁気的挙動には大きな影響が認められたものの、磁性イオン間の磁気的相互作用には影響しなかったことを意味する。その理由はこれらの物質において、水素結合部位が磁気ネットワークに関与していないためか、そもそも重水素置換による影響がほとんどないためであろうと推測している。重水素置換により磁気的挙動が劇的に変化した例は、この例を含めて、いくつか報告例がある[4]。しかし、この例のように、構造相転移温度がシフトしたり、構造相転移を示さなかった物質が重水素化により、構造相転移を示すようになったものの、磁気的相互作用の大きさ自体はあまり変化していないようである。 これを受け、我々は水素結合中の水素原子を重水素原子に置換した際の磁気的挙動、特に磁性イオン間の磁気的相互作用そのものへの影響に興味を持った。本研究では、水素結合を介して超交換相互作用が働く銅二量体、[Cu(Eta)(Heta)(NO3)]2 (Eta = H2NCH2CH2O–, Heta = H2NCH2CH2OH) H(図1)に着目した[5]。この物質は室温での結晶構造と77 Kまでの磁気的性質が報告されている。図1に示すように、この物質Hは2つの銅単核錯体(Cu2+, S = 1/2)が強い水素結合を介して、+2価の電荷を有する二量体を形成し、対アニオンとしてディスオーダした硝酸イオン(NO3–)を含んでいる。この二量体内の銅イオン間には水素結合を介して超交換相互作用が働くことが知られている。二量体間には複数のN–H•••O水素結合が存在するが、原子間距離が遠く、二量体間の超交換相互作用は二量体内と比較して無視できるほど弱いと考えられる。この物質Hは重水素置換による磁気的相互作用への影響を検討するには格好の素材と言える。本研究では、この物質の水素結合部位を重水素置換した際に、結晶構造や磁気的性質に現れる影響について検討を行った。 上記の他、これまで継続的に研究を行っているダイヤモンド鎖格子磁気ネットワーク構造を有する銅水酸化物の磁性評価の追試を実施した。

実験 / Experimental

サンプルの調製は弊学で実施した。Hは文献の方法を参考に、硫酸銅三水和物Cu(NO3)2•3H2Oと2-アミノエタノールH2NCH2CH2OHを原料として、メタノール中で混合することにより作成した。重水素置換体(D)はHを重メタノール中で再結晶することで作成しようとしたが、再結晶後は目的物質ではなく、別の既知物質である銅直線型三角錯体[6]の結晶が得られた。そこで、原料をそれぞれ重水または重メタノール中で重水素化し、次に、得られたCu(NO3)2•3D2OとD2NCH2CH2ODとを重メタノール中で混合したところ、Dの結晶の作成に成功した。弊学のIRスペクトル測定装置により、磁気的相互作用の経路の水素結合部位O–H•••Oの他に、アミノ基NH2が重水素化されていることを確認した。  得られた試料の結晶構造解析は主に弊学で行ったが、単結晶構造解析装置(MS-205, MS-206)を利用して追試を実施した。磁気測定用試料への不純物の混入の有無を調べるため、粉末X線回折装置(MS-209)を用いて確認した。HD、さらには銅水酸化物誘導体の磁気測定をSQUID(MS-219, MS-220)を用いて行った。HDについて構造相転移における転移温度を検証するため、DSC測定(MS-223)を行ったが、転移熱は明確には観測できなかった。

結果と考察 / Results and Discussion

1.結晶構造
 表1は113 Kおよび253 KにおけるHDの結晶データである。253 KにおけるHDの結晶構造はそれぞれ、先行研究の報告された物質と同形であった。一方、113 Kで結晶構造解析を行ったところ、c軸の値がほぼ倍となる低温相が存在することを新たに発見した。Hは118 K以下で、Dは126 K以下で構造相転移することを格子定数の温度依存性を検討することにより確認した。なお、HDの低温相は同形であった。  図2にHにおける室温相と低温相の結晶構造を示す。図2(a)はc*軸方向から眺めたHの室温相の原子配列を示しいる。破線の部分が銅二量体分子(図1)を横から観たものに相当する。二量体分子間には弱いN–H•••O水素結合が存在し、4つの二量体分子は硝酸イオンを囲むように配置していた。室温相では硝酸イオンは熱的な回転運動によると思われるディスオーダしている様子が伺えた。図2(b)はc*軸方向から眺めたHの低温相の原子配列を示しいる。二量体分子及び分子間の原子配列は、室温相とほぼ同じであったが、硝酸イオンの回転が止まり、硝酸イオンの酸素原子が銅イオンに配位していた。構造相転移の要因は硝酸イオンのオーダ、ディスオーダ転移であると考えられる。Hの室温相(253 K)および低温相(113 K)における二量体内のO•••H–O水素結合距離は、それぞれ2.436 Åおよび2.442 Åであり、氷などで見られる水素結合距離(約2.75 Å)と比べても短いことから、かなり強いと考えられる。このため、構造相転移や温度変化にほとんど依存しなかったと思われる。Dの室温相および低温相はそれぞれHのそれらとほぼ同じ原子配列であり、二量体内のO•••H–O水素結合距離は室温相で平均2.442 Åおよび低温相で平均2.441 Åであった。Hと同程度の距離であり、DHと同様、二量体内は強い水素結合で結ばれていると考えられる。
以上のように、本研究により、水素結合銅二量体、[Cu(Eta)(Heta)(NO3)]2 Hとその重水素置換体 D は低温で構造相転移を示すことを明らかにした。その原因は、硝酸イオンの回転停止と、配位結合の生成によると考えられる。また、両方とも超交換相互作用のパスであるO•••H–O水素結合は非常に強く、構造相転移や温度変化に対してほとんど変化しないことがわかった。 

2.磁気的性質
  Hについては、先行研究による磁気的性質の報告例[5]がすでにあるが、液体窒素温度までしか測定されていなかった。そこで本研究ではHDについて、300 Kから2 Kまでの範囲で磁気測定を行い、特に低温側での磁気挙動を検討した。図3はそれぞれの誘導体の磁気測定結果である。いずれの同位体もほぼ同じ磁気挙動を示した。低温側で反磁性基底状態となり、温度の上昇とともに、常磁性磁化率cpが増加する熱活性化型挙動が認められた。これは磁性二量体の代表的な化合物である酢酸銅一水和物と類似の磁気挙動であった[7]。いずれの同位体もcpは50 K付近でピークとなり、それ以上の温度では温度の上昇とともにcpは減少した。 これらの実験データをBleaney-Bowersモデル[8]を用いて、24 Kから300 Kの間でフィッテイングしたところ、Hについてはg = 2.024, 2J/kB = –51.94 K、Dについてはg = 2.039, 2J/kB = –51.27 Kとなった。先行研究では77 Kまでの実験データを用いて、磁気パラメータg = 2.11, 2J/kB = –56 cm–1 (80 K)を得ているが[7]、今回の実験により、さらに正確な値を得たと考えている。今回の結果を受け、これらの同位体では、重水素化による磁気的挙動はほとんどなかったと結論付けた。 

3.ダイヤモンド鎖格子磁気ネットワークを有する銅水酸化物の磁気測定
  以前、測定したダイヤモンド鎖格子磁気ネットワークを有する銅水酸化物[Cu2(OH)3 (CH3CH2COO)2 (H2O)4](CnH2n+1SO3)2n = 5 ~ 10)について、新たな方法で合成を行い、磁気挙動の再現性を検証した。いずれも以前測定した試料の磁気挙動を再現した。

図・表・数式 / Figures, Tables and Equations


図1. 水素結合二量体 [Cu(Eta)(Heta)(NO3)]2 の分子構造(Eta = H2NCH2CH2O, Heta = H2NCH2CH2OH).



表1.[Cu(Eta)(Heta)(NO3)]2 の結晶データ.



図2. 水素結合二量体 [Cu(Eta)(Heta)(NO3)]2 Hの(a)室温相および(b)低温相における結晶構造のc*軸投影図. 破線は図1の水素結合二量体部位



図3. 水素結合二量体 [Cu(Eta)(Heta)(NO3)]2 Hおよびその重水素置換体Dの常磁性磁化率の温度依存性. 実線はBleaney-Bowersモデルによるカーブフィッティングの結果.


その他・特記事項(参考文献・謝辞等) / Remarks(References and Acknowledgements)

参考文献
[1] C. K. Prout, R. A. Armstrong, J. R. Carruthers, J. G. Forrest, P. Murray-Rust, F. J. C. Rossotti, J. Chem. Soc. A, 1968, 2791.
[2] S. Yoneyama, T. Kodama, K. Kikuchi, Y. Kawabata, K. Kikuchi, T. Ono, Y. Hosokoshi, W. Fujita, CrystEngCommun, 2013, 15, 10193.
[3] S. Yoneyama, T. Kodama, K. Kikuchi, T. Fujisawa, A. Yamaguchi, A. Sumiyama, Y. Shuku, S. Aoyagi, W. Fujita, Dalton Trans., 2016, 45, 16774.
[4] 例えば、H. Mori, S. Yokomori, S. Dekura, A. Ueda, Chem. Commun. 2022, 58, 5668.
[5] J. A. Bertrand, E. Fujita, D. G. VanDerveer, Inorg. Chem., 1980, 19, 2022.
[6] P. Seppäla, E. Colacio, A. J. Mota, R. Sillanpää, Dalton. Trans. 2012, 41, 2648.
[7] B.N. Figgis, R. L. Martin, J. Chern. Soc. 1956, 3837.
[8] B. Bleaney, K. D. Bowers, Proc. Roy. Soc. (London), 1952, A214, 451. 
謝辞  本成果は東京海洋大学海洋工学部海洋電子機械工学科三浦建太君と村井奨君の卒業研究活動によって得られた。 赤外線吸収スペクトル測定では東京海洋大学海洋工学部の盛田元彰准教授の装置を借用した。結晶構造解析では、名古屋市立大学大学院理学研究科の青栁忍教授の支援を受けた。この場を借りて、お礼申し上げます。


成果発表・成果利用 / Publication and Patents

論文・プロシーディング(DOIのあるもの) / DOI (Publication and Proceedings)
口頭発表、ポスター発表および、その他の論文 / Oral Presentations etc.
  1. 村井奨、青栁忍、藤田渉、 ”水素結合を有する銅二核錯体[Cu(Eta)(Heta)(NO3)]2の結晶構造と磁性における重水素置換効果”日本化学会第104春季年会(2024), 令和6年3月19日, 日本大学船橋キャンパス.
特許 / Patents

特許出願件数 / Number of Patent Applications:0件
特許登録件数 / Number of Registered Patents:0件

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