NanotechJapan Bulletin

      

文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム 卓越した技術スタッフ
<平成29年度若手技術奨励賞>
超高圧電子顕微鏡によるガス中その場観察の研究支援
受賞者 名古屋大学 微細構造解析プラットフォーム 樋口 公孝氏に聞く

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超高圧電子顕微鏡の前にて,若手技術奨励賞の表彰状を手に,名古屋大学 樋口 公孝氏

 文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業では,全国37の研究機関で最先端ナノテクノロジー設備の利用機会を産学官の研究者に対して提供している.最先端研究設備の有効利用には,設備の特徴を熟知して整備し,利用者に使用ノウハウを提供する技術支援スタッフの存在が大きな支えになっている.平成29年度の若手技術奨励賞は,名古屋大学の微細構造解析プラットフォーム(PF),未来材料・システム研究所 超高圧電子顕微鏡施設の技術職員,樋口 公孝(ひぐち きみたか)氏に贈られた[1].受賞テーマは「超高圧電子顕微鏡によるガス中その場観察の研究支援」である.そこで今回,名古屋大学の超高圧電子顕微鏡施設を訪問し,受賞した業績について苦労話も含め,樋口氏にお話を伺った.

1.名古屋大学 微細構造解析PFでは“ガス環境下でその場観察”ができる

1.1 微細構造解析プラットフォームで利用できる設備と利用状況

 名古屋大学の微細構造解析プラットフォームでは,学内外の研究者が最先端の電子顕微鏡群を利用できる[2].主要装置として5台のTEM(Transmission Electron Microscope,透過型電子顕微鏡)があり,超高圧TEM(加速電圧1000kV)が1台,超高分解能の収差補正機搭載TEM(200kV)が2台,電界放出型の高分解能TEM(200kV)が1台,汎用のTEM(200kV)が1台という構成である.TEM観察用の試料を作成するための装置として,FIB(Focused Ion Beam,集束イオンビーム加工機)が2台と,Arイオンミリング装置や薄片化するミクロトーム,電解研磨装置なども備えている.その他に,FIB-SEM(高速加工観察分析装置,1台)での半導体や生物の3D(3次元)構造観察も可能である.

 図1に,名古屋大学の微細構造解析プラットフォームでの平成29年度の利用状況を示した.左側が利用者別の依頼件数で,大企業・中小企業合わせて全体の45%,他大学と学内他学部を合わせて45%,公的研究機関10%とバランスよく利用されている.右側は利用形態別の統計データであり,技術代行が約半分と多い.これは,高分解能観察やガス中その場観察,FIB-SEMでの3D観察他,高いスキルが求められる案件が多いためである.学内利用者は,機器利用が多い.共同研究による利用の件数割合は12%で少ないが,ヘビーユーザとなるので装置利用日数的には24%となって約1/4を占めている.

図1 名古屋大学微細構造解析PFの観察依頼件数:(左)利用者別,(右)利用形態別

 

1.2 超高圧電子顕微鏡の概要と特徴,利用時の留意点

 樋口氏の今回の受賞は,「超高圧電子顕微鏡によるガス中その場観察の研究支援」を表彰するものであり,その内容の詳細は次章以下に紹介する.その前に,超高圧電子顕微鏡について,概要を述べる[2][3].正式名称は,「反応科学超高圧電子顕微鏡設備」と称しており,日本電子(JEOL)と共同開発した1,000kVのTEMである(JEM-1000k RS).“反応科学”と銘打ったのは,汎用のTEMでは不可能な,ガスや高温で物質が反応している環境下でのその場観察ができるTEMであることを謳っている.自動車の排ガス浄化用触媒の材料開発や,燃料電池・リチウム電池の化学反応の観察,がん細胞の3次元構造解析などで,威力を発揮することを期待して開発され,2010年に建設された.装置全体の高さは14m,総重量は330tと巨大な装置で,地下1階・地上2階の専用建屋に収納されている.本記事冒頭の写真は,建屋1階の電顕操作テーブル前で撮影したもので,後方に電顕の鏡筒部が見える.

 本TEM装置を利用した研究成果については,酸素ガス中での貴金属触媒によるCNTの酸化観察,毛髪内部のメラニン顆粒3次元立体構造の観察など,NanotechJapan Bulletinでこれまでにいくつか紹介してきた[3][4][5].これまでの利用報告書は,微細構造解析プラットフォームのHPにて閲覧できる(ただし,閲覧パスワードの申請が要る).

 本電顕装置の特徴を,利用者の視点で見ると,

(1)厚い試料の3次元観察ができる;
加速電圧が1000kVと高いので,通常のTEMより電子線は観察対象の試料をより深く透過していく.したがって,厚い試料で,よりバルクに近い状態での観察が可能となる.また,試料を傾けて3次元立体観察ができる.

(2)観察対象試料を挿入する対物レンズのスペースが広い;
通常のTEMでは試料が設置される対物レンズ間のスペースは3~5mmしかないが,本装置では加速電圧が高いことから16mmもあり,試料周辺の空間的余裕が大きい.したがって,様々な試料ホルダーの使用が可能で,本稿の主題である,試料をガス環境下にするためのガスチャンバー機構(厚さ14mm)の導入や,高傾斜回転制御可能なホルダーも可能になる.

(3)試料ホルダーの自由度が高まるのでガス環境下でのその場観察ができる;
従来のTEMでガス環境下での観察をするためには,試料ホルダー側からガスを導入していたが,ガスの制御が難しく安定したガス環境にするのが大変だった.本装置ではTEM本体側にガス実験用の各種機構が備わっている.ガス雰囲気はじめ,加熱・冷却,電磁界,機械歪みなど外部環境下の材料の振る舞いを調べられることが,“反応科学TEM”の最大の特徴といってよい.

 図2に,ガス導入装置と電顕試料室の断面構造を示す.上(a)がガスを導入しない通常の観察時,下(b)はガス環境下での観察時である.青色で示した空間が高真空(10-6 Pa台)に差動排気している部分で,鏡筒の上方から加速された電子線ビームが入射して,試料を透過して下方の検出系に出射する.試料は,試料ホルダー(白色)に搭載されて,図の右側から電顕試料室に挿入される.オレンジ色の部分がガス導入機構で,図の左側からガスを試料室に導入する.通常観察時は,ガス導入機構は光軸から抜いておく.ガス導入機構先端にはノズルがあり,試料近くまでノズルを寄せてガスを試料に吹き付ける.黄色で示した部分が,ガス環境の範囲である.差動排気により,電子ビームに対する真空度を落とすことなく,ガスは最大1.3×104 Pa(約0.1気圧)まで保持できる.ガス導入と試料ホルダー挿入を分けることで試料ホルダーの安定性が増し,ガス圧をコントロールしやすい.また,試料ホルダーに加熱等の付加機構も加えることができる.

 

図2 ガス導入装置の断面構造:(上)通常観察時,(下)ガス環境観察時

 

 こうした特徴がある巨大なTEM装置を利用する上では,利用者には以下のような留意点,心構えが求められる;

(a)TEM装置の操作は全て電顕施設の技術スタッフが行うが,利用者にも必ず立ち会ってもらい,観察場所の指定,倍率の設定,写真の撮影ほか,スタッフと共同で実験を分担する.

(b)複雑な実験を行う際は,事前にスタッフと綿密な相談,打合わせが重要となる.どんな手順で実験を進めるのが最適か? 必要に応じて,図3のガス予備実験装置(図2に描かれたガス導入装置と試料ホルダー部のみの装置,電子線は無し)でガス中での試料の振る舞いを確認してTEM観察する前に実験手順を検討する.

(c)「その場観察」の実験では,予想外の現象が発生し,求めた結果が直ぐに得られるとは限らない.試行錯誤を繰り返し,何度も実験を実施してようやく結果が出ることもあるので,辛抱強さが求められる.

 

図3 ガス予備実験装置(超高圧電子顕微鏡建屋2階にて)

 

1.3 樋口氏の微細構造解析プラットフォームでの役割

 超高圧電子顕微鏡施設はTEM中心に多数の装置を保有する施設ではあるが,職員の人数は少ないので,樋口氏は各種TEMの操作,FIBやイオンミリング装置による試料加工,FIB-SEMによる3D構造観察,等の多くの技術的依頼案件に対応する他,装置メンテナンスや学生への講習・技術指導にも取り組んでいる.また,名古屋大学の学内利用も含めて,ナノテクノロジープラットフォームとして学外向けにも対応している.今回,若手技術奨励賞として表彰された「超高圧電子顕微鏡によるガス中その場観察の研究支援」の具体的な支援例2件について,次に紹介する.

2.研究支援例(1):燃料電池反応のガスTEM中その場観察

2.1 なぜ超高圧電顕を利用したいと考えたのか?

 本研究の利用者は,株式会社真空デバイスの富田正弘氏で,名古屋大学の石田高史 助教や3年前に退官された丹司敬義 教授らとの共同研究の成果である[6].

 固体酸化物形燃料電池(SOFC: Solid Oxide Fuel Cell)は,空気中の酸素を正極でイオン化してイットリア安定化ジルコニア(YSZ)などの電解質セラミックス膜を通過させ,都市ガスから作る水素や一酸化炭素と酸素イオンが負極で反応して水や二酸化炭素を生成するとともに,電子を放出して発電する.700~1000°Cの高温で動作させるので,50%を超す高い発電効率が得られる.排熱を利用した給湯もできるコージェネレーションシステムとして,家庭向けに市販され普及しつつある.環境性と経済性の両面で,従来の電気やガスの供給より優れたエネルギー源として期待されている.

 電池性能を向上させるためには,電池の内部抵抗を下げることが課題になっている.内部抵抗の主たる要因は,電極における“過電圧”である.電極と固体電解質との界面,あるいはガスとの3相界面で電極反応に起因した電位分布が発生すると,電池反応を妨げて出力電圧を低下させる“過電圧効果”が現れる.電極での過電圧効果を低減するためには,電池動作中の化学反応をナノスケールで観察して,電極反応のメカニズムを解明し,電極/電解質界面での電極微細構造や電極材料を最適化することが重要であると考え,共同研究が開始された[7].本研究は,現在も継続して進行中のテーマである.

2.2 樋口氏の研究支援内容 ~試料ホルダーと試料作成でのノウハウ~

 超高圧電子顕微鏡で燃料電池の電極反応を酸素ガス中でその場観察する実験を遂行するために,樋口氏が研究支援したのは以下の3項目である[6][8];

①加熱・電圧印加用の試料ホルダーの開発
②FIBによる試料加工
③ガス環境下でのTEMその場観察

 まず,①加熱・電圧印加用の試料ホルダーについて説明する.図4が,今回の実験のために準備した専用試料ホルダーの写真(左)と模式図(右)である.写真の左上は試料ホルダーの全体で,長さ80mm,先端部の幅10mmである.ホルダー先端部を拡大した写真には,3つのネジ端子が見える.左から電圧印加用の端子A,加熱用の端子B,そして試料を挟んで右にもう一方の加熱用端子Cが配置されている.図4右の模式図に示したように,端子Aと試料の間をAuワイヤーで結線して試料に電圧を印加し,端子B/C間に電流を流すことでヒータ(NiCr合金,60μm厚)を加熱して,ヒータ上に搭載した試料の温度を1200Kまで高温にすることができる.試料は,図4左の写真で2つの加熱用端子に挟まれた中央,Cu製の円筒中心に位置付けし,試料ホルダーを電顕に挿入する.電子線ビームは紙面の上方から入射し,試料を透過して紙面下方へ出射して検出される.

 

図4 専用試料ホルダー先端部:(左)写真,(右)模式図

 

 次に,②FIBによる試料加工について,図5の写真を参照しながら解説する.固体酸化物形燃料電池を構成する,正極(Pt)/セラミック電解質(YSZ)/負極(Pt)を積層した試料をTEM観察するために,試料の厚さを100nm程度まで薄く加工する必要がある.そのために,FIB加工装置を使って試料を薄片化する.FIB装置では薄片化加工だけでなく,発生した2次電子を検出して加工状態の画像(Scanning Ion Microscope Image, SIM像)を取得することもできる.図5の左上と右上の2枚の写真は,FIB装置で加工し,FIB装置で撮影したSIM像である.

 

図5 FIBによる試料加工

 

 図5左上は,土台となるCu基板の中央凹部に,燃料電池試料を取り付け,さらに左方から直径10μmのAuワイヤーを試料上部の電極に接続している様子である.写真の左上部に見えるのが,FIB装置内に組み込まれているマイクロサンプリング機構の針先であり,これを使って試料やAuワイヤーを移動させる.試料の土台への接着や,Auワイヤーの電極への接続は,FIB装置に組み込まれているタングステン銃からW(CO)6ガスを吹き付けながらGaイオンビームを照射することで,Wを析出させ,接着剤として機能させている.

 図5右上は,試料を薄片化して,クリーニングした状態である.図5左の中央部をさらに倍率を上げ,拡大して見ている.試料のTEM観察部位を100nm程度の厚さまで薄片化するために,図5右上の写真で上方の表面と,下方の裏面と,両面を交互にイオンビーム出力を徐々に弱めながら削っていく.これにより切削と同様、表面のクリーニングを行う.

 FIBによるTEM用試料加工では、試料両端部を支持部として2~3μm厚で残し、TEM観察部位が100nm厚になるよう中心部を数段の階段状に切削することが一般的である。しかし表面がギザギザの階段状に加工されると,加工ゴミが付着しやすく,弱いイオンビームでクリーニングしてもゴミが取り切れずに,試料表面での電気的導通パスが生じて短絡してしまう原因になる.そこで本案件ではクリーニングを確実に実施できるよう薄片化した両端の根元の形状をV字型になるように工夫した.

 こうしたFIB装置を使った試料作りには,2~3日を要している.FIBで作製した試料カートリッジは,TEM観察用の試料ホルダーに移されて,TEMに挿入して観察する.図5左下(a)は,研究初期の試料で,図5右上とは違った斜め方向から撮像したものである.しかし,この構造ではわずかな振動でAuワイヤーが切れて外れやすく,実験終了までAuワイヤーが外れないで観察できたケースは年に1回しかない,という有様であった.Auワイヤーが外れてしまうと電圧印加実験はできないので,また2~3日かけて試料作りをやり直すことを何度も繰り返した.

 現在では,図5右下(b)の改良型の試料構造になっている.Auワイヤーの先端は直径5μmに細め,電極面へのタングステン接着部はワイヤー直径よりも太くして接着強度を高めている.また,薄片部は片側だけで支持しており,よりシンプルな構造にしてクリーニングしやすくしている.こうした改良に加え実験手順も最適化することにより,現在では実験途中でAuワイヤーが外れてしまうことは殆どなくなっている.FIB加工条件,試料形状やクリーニング条件を最適化して,ある程度ノウハウが揃ったところでマニュアルにまとめた.ユーザである共同研究先の学生に,マニュアルを参照しながらFIB加工を講習し,学生自ら創意工夫を重ねて改良型の構造に行き着いた.

2.3 加熱・電圧印加・酸素ガス環境下でのTEMその場観察の結果

 こうして準備した試料と試料ホルダーを使って,超高圧TEMでのガス環境下でのその場観察に進む.TEM観察は複数人が分担して行い,樋口氏は主としてTEM本体の操作とガス環境の制御にあたった.試料に印加する電圧と加熱は,ユーザに分担してもらった.また,TEMでの電子線エネルギー損失分光(EELS, Electron Energy Loss Spectroscopy)によるデータ解析は,最初にGatan社製のデータ解析ソフトの操作手順をユーザに習得してもらい,その後はユーザに委ねた.

 図6は,TEMその場観察時の電極近傍のYSZ層のEELSデータの例である.横軸は酸素のK殻電子に対する電子線エネルギー損失の相対値,縦軸は検出強度である.4つのカーブは固体電解質としてYSZを用いた試料に対して,温度(室温:RT, 523K,723K),酸素分圧(0.1Pa,0.5Pa),電圧(0V,0.3V,0.5V)を振って色々と組み合わせて取得したデータ:①~③と,レファレンスとしてZrO2を電解質とし,室温で取得したカーブと比較している.①マーク直下の酸素イオン空孔に対応するピークがあるが,②,③になるほどピーク形状がつぶれていき,ZrO2に近づいている.これは,酸素イオン空孔濃度が温度,酸素分圧,印加電圧の増加とともに低下していることを示している.すなわち,電極反応が進むにしたがって酸素イオンが電解質内で移動して酸素イオン空孔がなくなっていることを意味している.こうした酸素イオンの移動現象を,ガス中TEM観察により世界で初めて捉えることに成功した. 今後,水素ガスも導入した電池反応のナノスケール観察も期待したい.

 

図6 電圧・温度・酸素分圧 調整時のEELS結果

 

3.研究支援例(2):単一粒界の水素脆性その場観察

3.1 水素ガス環境下での鋼材の強度低下メカニズムの解明

 本研究の利用者は関西大学の高橋可昌 准教授で,共同研究としての利用形態をとっており,毎月のように名大PFで実験しているヘビーユーザである.“水素脆性”とは,鋼材が水素環境下で強度低下してしまう現象であり,古くから問題として認識されているものの,そのメカニズムは諸説あり解明されていない.例えば,結晶粒界における水素の偏析が粒界脆性を引き起こすと言われる.しかし,単一粒界に力学的負荷を与え(荷重),その破壊特性を詳細に調べたり,水素の分布状態を明らかにした報告はない.そこで,水素ガス環境下で鋼材の脆弱化を超高圧TEMで観察し,水素脆性の精密測定をすることにより,水素脆性のメカニズムを解明すべく,共同研究がスタートした.

3.2 樋口氏の研究支援内容 ~荷重負荷位置の制御,水素ガス圧の制御~

 超高圧電子顕微鏡で,単一粒界の水素脆性を水素ガス中でその場観察する実験を遂行するために,樋口氏が研究支援したのは以下の2項目である[9][10];

①観察試料への荷重負荷位置の制御
②水素ガス圧の制御

 まず,①の観察試料への荷重負荷位置の制御について説明する.試料としては,多結晶材料であるNi3AlをFIB加工装置で薄片化し,図7左の写真にあるような微小試料片を作成する.このTEM像の中央部,V字型にくびれた先に粒界がある.この試験片をナノインデントホルダーに取り付け,図7左の写真の右端に見えるインデンターの負荷チップを押し込んで,荷重を負荷する.すると図7右のTEM像のように,V字型くびれの先の粒界に亀裂(写真の白い線)が発生し,破壊されていく.この様子を水素ガスの有り,無しで比較する.

 

TEM内荷重印加試験:(左)荷重印加前,(右)荷重印加で破壊直後

 

 重要なポイントは,比較する試料片は同じ粒界から複数の極薄試料片を作成し,同じ実験条件で比較することである.違う粒界に対して同じ荷重負荷をかけても,結晶方位が異なるので実験条件としては同じにはならない.単一粒界で比較するだけでなく,可能な限りデータに変動を及ぼす要因を減らして,再現性の良い実験を繰り返す必要がある.

 荷重負荷を試料片の一定の点に位置合わせすることも,その一つである.TEM像を観察しながら,試料片の同じ位置にインデンターの負荷チップを移動させる.TEM像は2次元像なので図7の平面方向の位置合わせは易しいが,紙面鉛直方向となると薄い試料(数百nm厚)の中心部を負荷チップ先端で捉えることは意外と難しい.試料位置の違いに起因する像のコントラストの違いと対物レンズ電流値(≒Focus位置)の関係から、チップと試料の相対的な位置を判断して位置合わせを実施する.TEMを高倍率にすれば位置合わせ精度は上がるが,電子線ビームを絞ることになるので電荷が溜まり実験データの変動要因となる.したがって低倍率のまま(図7の倍率で),わずかなコントラストの変化を見逃さずに位置合わせしなければならない.位置合わせしてから,押込み方向,高さを正確に調整して,応力センサで測定しながら同じ速さ(1nm/s)で押し込む.

 もう一つ同じ実験条件とする上で重要なのが,②水素ガス圧の制御である.TEM試料室内に導入するガスは,窒素(N2)80%+水素(H2)20%の混合ガスで,ガス圧は5,000Paである.図8に示した水素ガス圧コントロール画面を見ながら,バルブの開閉具合とマスフローコントローラの設定値を調整する.自動調整機構もあるが,ガス圧変動に対してやや遅れて反応する場合があり,その時は樋口氏がマニュアル操作して調整した.マニュアルとオートは適宜切り替えて使い分けた.この調整は半分,経験と勘によって行なっている.これにより,ガス圧コントロール画面に表示される3桁数字の最小桁まで調整することができ,ガス圧を±1%以内に精密に制御した.

 さらに同一実験条件とする上で留意したのが,試料への電子ビーム照射条件を常に一定にしたことである.エミッション電流と試料上の電子数カウントで二重に管理し,照射条件を一定に保った.このように実験条件を高精度で管理した結果,水素脆性を明確に捉えることに成功した.次に,その結果を紹介する.

 

図8 水素ガス圧コントロール画面

 

3.3 TEM内での荷重印加その場観察の結果

 以上述べてきたように,単一粒界からの試料片を複数作成し,水素ガス圧や電子線ビーム照射条件を一定に維持した上で,試料片の同一位置に同一荷重を負荷し,水素ガスの有り無しで,粒界脆性のその場観察比較を行った.

 図9は,横軸に押込め量(変位量),縦軸に応力センサで測定した負荷(μN)をとったデータで,左が真空中,右が水素雰囲気である.真空中では破壊は起こってないが,水素雰囲気中では塑性変形の後に,270nmを超えた変位量で荷重が急激に減少した.これは,粒界に亀裂が生じて破壊に至っていることに対応している.このデータは,水素によって粒界破壊が起こっていることを明確に示している.今後,粒界面に水素がどのような状態でいるのか、原子レベルでの観察を期待したい.

 

図9 押込め量(変位量)に対する応力:(左)真空中,(右)水素雰囲気中

 

4.今後の抱負と利用者への期待

 樋口氏は超高圧電子顕微鏡施設で6年目になり,TEMでのガス中その場観察の実験スキルはある程度身についてきた.「しかし,安定して結果を出すには,ある程度の試行錯誤が必要で,期待される変化が観察されない時ほど辛いものはない」,と樋口氏は胸の内を語る.実験が思うように進まない時に,次にこうしましょうと利用者に提案できるようにしたい.的確に提案するためには,実験スキルだけでなく研究目的や観察対象の材料について深い理解が必要と感じているが,現実は日々の実験を優先しなければならず深い理解には至らない場合が多い.「次に期待が持てるような実験の提案ができて,真の研究支援と言えるでしょう.その域に早く到達したい.」と樋口氏は抱負を述べた.

 利用者への期待としては,「何でも聞いてきてほしい.利用者からの問い合わせで,こちらも色々と考えたり,調べたりするきっかけになります.」特に学生利用者には,「自分で装置を使えるように教育します.学問に裏打ちされた経験や知識の蓄積があって,装置を使いこなせる.そのような人材教育に貢献することが大学の共用施設の重要な使命だと思ってます.」と語った.

5.おわりに

 超高圧電子顕微鏡施設で技術支援スタッフとして活躍されている樋口氏から,若手技術奨励賞として表彰された「ガス中その場観察」の研究支援内容をお聞きした.燃料電池反応や水素脆性のその場観察いずれの支援例でも,樋口氏のような技術支援スタッフの辛抱強い試行錯誤の努力があって初めて研究成果が得られていることに感銘を受けた取材であった.本記事の読者が,名古屋大学の微細構造解析PFを利用してみたい,との気持ちを持つきっかけになれば幸いである.

参考文献

[1] ナノテクノロジープラットフォーム技術スタッフ表彰,平成29年度,若手技術奨励賞 樋口公孝(微細構造解析PF:名古屋大学):http://nanonet.mext.go.jp/award/
[2] 名古屋大学未来材料・システム研究所超高圧電子顕微鏡施設 ナノテクノロジープラットフォーム実施機関:http://nanoplat.nagoya-microscopy.jp/
[3] "反応科学超高圧電子顕微鏡による研究支援 受賞者 名古屋大学 微細構造解析プラットフォーム 荒井 重勇氏に聞く", NanotechJapan Bulletin Vol. 10, No. 2, 2017:http://nanonet.mext.go.jp/magazine/content/files/mag_pdf/Staff_Aw_pdf/Award_for_technical_staff_2017-1.pdf
[4] "粒径評価のための新規電顕画像解析法の提案 受賞者 名古屋大学 微細構造解析プラットフォーム 山本 悠太氏に聞く", NanotechJapan Bulletin Vol. 10, No. 3, 2017:http://nanonet.mext.go.jp/magazine/content/files/mag_pdf/Staff_Aw_pdf/Award_for_technical_staff_2017-3.pdf
[5] "超高圧走査透過電子顕微鏡で毛髪メラニン内部の 3D 構造が明らかに", ホーユー株式会社総合研究所 今井健仁, 名古屋大学エコトピア科学研究所 超高圧電子顕微鏡施設 荒井重勇,樋口公孝,山本悠太, NanotechJapan Bulletin Vol. 7, No. 1, 2014:http://nanonet.mext.go.jp/ntjb_pdf/nanotechEXPRESS-16.pdf
[6] Takafumi Ishida, Hideto Hirosima, Kimitaka Higuchi, Takayoshi Tanji, Masahiro Tomita and Koh Saitoh, "Development of a voltage applying and heating specimen holder for observation of solid oxide fuel cell's reactions in environmental TEM", Proceedings of 11th International Symposium on Atomic Level Characterizations for New Materials and Devices 2017, pp.373-375
[7] 丹司敬義,"固体酸化物型燃料電池の電極/電解質界面における酸化還元反応の観察",顕微鏡,Vol.47, No.3, pp.135~138 (2012)
[8] 樋口 公孝,"透過型電子顕微鏡用の電圧印加サンプル作成方法の検討", 平成27年度三重大学技術発表会予稿:http://etech.engg.nagoya-u.ac.jp/gihou/v18/098.pdf
[9] Y. Takahashi et al., "In situ micro-mechanical testing of grain boundaries combined with environmental TEM, Recent Advances in Structural Integrity Analysis",Proc. Int. Congress (APCF/SIF-2014), 2014, pp. 570-574
[10] Y.Takahashi et al., Material Science & Engineering A661 (2016) pp.211-216

(図はすべて樋口氏から提供された)

 

(尾島 正啓)