NanotechJapan Bulletin

      

文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム 秀でた利用成果
<2018年秀でた利用成果-4>
量子ホールエッジチャネルにおける電荷ダイナミクス研究
1東京工業大学理学院, 2NTT物性科学基礎研究所 橋坂 昌幸1, 2, 村木 康二2, 藤澤 利正1
東京工業大学ナノテクノロジープラットフォーム 河田 眞太郎

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                (左)橋坂 昌幸,(中央)藤澤 利正,(右)河田 眞太郎                  (左)村木 康二                               

 

1.はじめに

 電子は素電荷を帯びた素粒子である.電子が運動すると電荷の移動が起こり,電流が生じる.また,電子はスピンと呼ばれる微小な磁石の性質を持つ.スピンもまた電子の運動に伴って移動する.これらは共に電子本来の性質であるから,単独の電子を考える場合,その電荷とスピンが別々に運動し,空間的に分離されることはありえない.

 ところが,多数の電子が非常に細い領域に閉じ込められた系(1次元電子系と呼ばれる)に電子を1つ追加すると,追加された電荷とスピンが空間的に分離することが知られている.この直感に反する興味深い現象は,スピン電荷分離と呼ばれる[1][2].これは1次元電子系特有の現象で,朝永 振一郎博士(1964年ノーベル物理学賞)が最初に提案した朝永-ラッティンジャー(TL)液体論によって説明される.

 TL液体では,スピン電荷分離の他にも,電荷が素電荷よりも細かく分かれていく電荷分断化現象[3][4]など,数々の一見不思議な現象が知られている.理論が誕生した当初は,現実の1次元電子系は知られておらず,これらの予言を実験で検証することは夢物語のようなものだった.ところが実験技術の進歩によって1次元電子系が実際に作られるようになり,現在では様々な物質・材料でTL液体の物理が確かめられるようになっている.

 本稿では,1次元電子系におけるスピン電荷分離を実験で観測した結果を紹介する.(カーボンナノチューブのような)元々1次元構造を持つ材料を用いるのではなく,半導体に微細加工を施して作製された試料を用い,実効的に1次元電子系と見なせる系(量子ホールエッジチャネル)に対する実験を構築した.この微細加工には,文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業(東京工業大学 微細加工プラットフォーム)の支援を受けた.独自に設計したサブミクロンサイズのスピン分解オシロスコープを用いることで,エッジチャネルを流れるスピンと電荷が時間経過とともに空間的に分離する様子を明瞭に観測することに成功した.TL液体を象徴するスピン電荷分離現象を目に見える形で観測できたのは驚くべきことで,基礎研究として大きな価値のある成果だと考えている.

 

2.量子ホールエッジチャネル

 半導体界面などに生じるクリーンな2次元電子系に対し,極低温環境で垂直磁場を印加すると,量子ホール効果が観測される.量子ホール効果とは,2次元電子系のホール伝導度が垂直磁場中でe2/hを単位とする整数値[整数量子ホール効果:1985年ノーベル物理学賞],または特定の分数値[分数量子ホール効果:1998年ノーベル物理学賞]に量子化される現象である.2次元電子系の電子密度または印加磁場を変化させることで,様々な量子ホール状態を形成することができる.

 量子ホール状態では,試料の中心部は絶縁体となり,試料端では金属的な1次元状態(量子ホールエッジチャネル)が生じる(図1a).古典的には,エッジチャネルはローレンツ力による電子の試料端でのスキップ運動に対応する(図1b).カーボンナノチューブのような通常の1次元電子系では電子は双方向に運動するのに対し,エッジチャネルでは電子が1方向にのみ運動する点が特徴的である.この性質をエッジチャネルのカイラリティと呼ぶ.

 

図1(a) 量子ホール系試料端に生じる1次元1方向性のエッジチャネル
(b)エッジチャネルの古典的描像

 

 整数量子ホール系の試料端では,ランダウ準位占有率(ホール伝導度の係数)と同じ本数のエッジチャネルが生じる.例えば占有率1の場合,試料端には上向き(アップ)スピン電子の1本のエッジチャネルが生じる(図2a).また占有率2の場合には,アップスピン電子とダウンスピン電子の2本の並走するエッジチャネルが生じる(図2b).同一試料内において,占有率はゲート電圧で電子密度を変化させて制御できる.これを利用すると,エッジチャネルの本数や形状を設計し(図2c),1次元電子系の電荷ダイナミクスを調べる様々な実験を実施することができる.

 

図2(a)占有率1の量子ホール系のエッジチャネル
(b)占有率2の量子ホール系におけるアップスピン,ダウンスピン電子の並走エッジチャネル
(c)空間的な電子密度変調による,エッジチャネルの本数,および形状の制御

 

3.エッジチャネルにおけるスピン電荷分離

 複数の平行なエッジチャネルがある場合,一方のエッジチャネルに電荷を励起すると,クーロン相互作用によって他方のチャネルにも影響が現れ,2本のチャネルが一体となって振る舞う.この電荷ダイナミクスは,TL液体論によって計算することができる.

 占有率2の量子ホール系において,並走するアップ,及びダウンスピン電子のチャネルを考える(図3a).各チャネル単独の電荷の運動速度は等しいとする(v0とおく).チャネル間のクーロン相互作用は,両者の間の分布キャパシタンスcXを用いて表現することができる(図3b)[5][6][7].このようなモデルを,我々はカイラル分布定数回路モデルと呼んでいる.この系の固有励起モードは回路方程式を解くことで計算でき,これはTL液体モデルの計算と同じ結果を与える.図3の並走エッジチャネルの系の固有励起モードは,cXに正負の電荷が蓄積されたスピンモード(電荷中性モード,あるいは双極子モードとも呼ばれる)と,同符号の電荷が同時に励起された電荷モードであることが分かる.

 

図3(a) 並走エッジチャネルにおけるスピン電荷分離
(b)チャネル間クーロン相互作用の分布キャパシタンスモデル

 

 スピンモードは全体の電荷はゼロであるが,アップスピンとダウンスピンの電子数に差が生じるため,スピン偏極を運ぶ.一方,電荷モードは電荷を運び,各チャネルの電子数が等しいため,そのスピン偏極度はゼロである.スピンモードの速度vSは,cXが充放電を繰り返しながら伝搬するためにv0よりも遅くなる.これに対し,電荷モードの速度vCは,両チャネル間の電位差がゼロでありキャパシタンスの影響が無視できるため,速度v0と等しくなる.このvSvCの速度差によって,電荷モード波束とスピンモード波束が同時に励起されると,時間経過とともにこれらは空間的に分離してゆく.これがエッジチャネルにおけるスピン電荷分離である.

 

4.スピン電荷分離の検出実験

 並走エッジチャネルに励起された電荷,およびスピンモードは,エッジチャネルのカイラリティにより決まった方向に伝搬する.従ってある1点で信号を入力し,その下流に設置された検出器で測定を行うと,エッジチャネルに対するポンプ・プローブ測定を構成することができる.この手法を用いてチャネルを流れる波束の時間発展を計測し,スピン電荷分離現象を観測した.

 本実験では,空間的に分離された電荷モードとスピンモードをそれぞれ検出する必要がある.電荷モードの波束は通常のエレクトロニクスで検出可能であるが,スピンモード波束は電荷を持たないため,その検出には工夫が必要である.我々はスピンの向きによって電子を弁別するスピンフィルタと,高速時間分解電荷計を組み合わせ,電荷波束とスピン波束の双方を検出できるスピン分解オシロスコープを作製し,信号計測を行った.

 図4に実験の概念図を示す.並走エッジチャネル上のゲート電極に電圧パルスを印加し,電荷波束(i)を励起する.この電荷波束がチャネル上に設置されたスピンフィルタ(SF1)に到達すると,(図4a)アップスピン,または(図4b)ダウンスピン電子集団(ii)のみが観測対象の並走エッジチャネルに注入される.この電子集団は電荷波束(iii)とスピン波束(iv)を足し合わせであり,これらの波束は異なる速度で独立に伝搬してゆく.一定距離伝搬したのち再びスピンフィルタ(SF2)に入射すると,波束を構成するアップスピン電子集団のみが取り出される.これらはSF2の直近に設置された時間分解電荷計で検出される.これにより,電荷波束(iii)とスピン波束(iv)の双方について,波形測定を行うことができる.

 

図4(a)並走エッジチャネルへのアップスピン電子波束注入実験.
(b)ダウンスピン電子波束注入実験.(参考文献[1][2])

 

 図5に本実験で用いた試料の光学顕微鏡写真を示す.AlGaAs/GaAsヘテロ界面の2次元電子系に垂直磁場を印加することにより,占有率2の量子ホール系を形成した(灰色の領域).アップ,及びダウンスピンのエッジチャネルはそれぞれ赤色と青色の矢印によって示した.黄色のゲート電極直下の2次元電子系は完全に空乏化されており,並走エッジチャネルはこの領域に沿って形成されている.緑色で示したゲート電極(SF1 およびSF2)の直下では,電子密度を減少させることにより占有率1の量子ホール系を形成している.図2(c)で示したように,アップスピンのエッジチャネルのみが占有率1の領域を透過できるため,これらはスピンフィルタとして働く.

 電荷波束(i)は,ポンプ信号入力端子1または2に高周波信号を印加することで励起する.SF1とSF2間の長さ260 μmの並走エッジチャネルにおいて,電荷波束とスピン波束の空間分離が期待される.これらの波束を構成するアップスピン電子は,量子ポイント接合(QPC)から成る時間分解電荷計によって検出される(図5挿入図)[8].プローブ信号によってQPCの透過率を一瞬だけ高めると,この瞬間に電子集団が到達していた場合に電流が検出される.ポンプ信号に対するプローブ信号の入力タイミングを変化させることで,QPCが時間分解電荷計として働く.

 

図5 色付けされた試料の光学顕微鏡写真,及び測定系.(挿入図)時間分解電荷計の拡大図.(参考文献[1][2])

 

 図6に典型的な測定結果を示す.アップスピン電子波束を注入した場合,時間波形に2つのピーク信号が観測される.一方,ダウンスピン電子波束を注入した場合,ピークとディップ信号が1つずつ観測される.まず注目すべき点は,この実験ではポンプ信号による電子波束注入を1回しか行っていないにもかかわらず,2つの信号が観測されることである.これは,入力された電子波束が2つの波束に分離し,異なる速度で伝搬したことを意味する.さらに重要な点は,飛行時間4 ns付近に観測される信号の符号が,注入された電子のスピンの向きに応じて反転していることである.図4から分かるように,この結果は1 ns付近の速い信号が電荷波束,遅い信号がスピン波束に対応していることを示している.こうして,エッジチャネルに注入された電子波束が電荷波束とスピン波束に別れ,時間経過とともに電荷とスピンが分離していく様子を確かめることができた.過去にもエッジチャネルを用いてスピン電荷分離を実験で検証した例はあったが[9][10][11],これほどはっきりと,分かりやすい形で観測がなされたのは初めてのことである.

 

図6(a)アップスピン電子波束注入実験で観測された時間分解電荷計の出力信号.
(b)ダウンスピン電子波束注入実験の実験結果.(参考文献[1][2])

 

 この実験結果を詳細に解析することにより,現実の1次元電子系である量子ホールエッジチャネルについて,TL液体的性質を決定づける全てのパラメータを見積もることに成功した.さらに,これらのパラメータのゲート電圧や磁場に対する依存性を調べ,エッジチャネルのTL液体的性質を人為的に変調できることも確かめることができた.

 

5.まとめ

 本稿では,ポンプ・プローブ法によって量子ホールエッジチャネルにおけるスピン電荷分離を明瞭に観察した実験について紹介した.これは代表的な量子多体系であるTL液体の素励起を直接観察した結果であり,物性物理学にとって大きな一歩だと考えている.

 

謝辞

 この研究では,文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業(東京工業大学微細加工プラットフォームF-16-IT-0014)の支援を受けた.この研究では高精度の微細加工技術が重要な課題であったが,親身に相談に乗っていただきながら試料の改良を進められたことで,最終的に良い結果につながった.この場を借りて感謝申し上げる.支援のきっかけは同じキャンパス内に微細加工の支援拠点(東京工業大学 微細加工プラットフォーム)があったことだが,これは我々にとって大変幸運な縁であった.今回の特殊な形状の試料作製には加工の条件出しに何度も手間をかける必要があったが,こういった研究には,確かな技術力を持つ技術者の方に長期にわたって相談に乗っていただける体制が非常に重要である.ナノテクノロジープラットフォームは,このようなニーズに応えてくれる大変貴重な仕組みだと考えている.

 なお,以上の成果は,東京工業大学(当時)の檜山 直晃氏,NTT物性科学基礎研究所の秋保 貴史氏との共同研究によって得られた.また,本研究は科学研究費補助金JP26103508, JP15H05854, JP26247051, JP16H06009の支援を受けて実施された.

 

参考文献

[1] M. Hashisaka, N. Hiyama, T. Akiho, K. Muraki and T. Fujisawa, Nature Physics, 13, 559 (2017).
[2] 橋坂昌幸, 藤澤利正, 日本物理学会誌, vol. 72, 805 (2017).
[3] H. Kamata, N. Kumada, M. Hashisaka, K. Muraki and T. Fujisawa, Nature Nanotechnology, 9, 177 (2014).
[4] P. Brasseur, N. H. Tu, Y. Sekine, K. Muraki, M. Hashisaka, T. Fujisawa, and N. Kumada, Physical Review B 96, 081101(R) (2017).
[5] M. Hashisaka, K. Washio, H. Kamata, K. Muraki, and T. Fujisawa, Physical Review B 85, 155424 (2012).
[6] M. Hashisaka, H. Kamata, N. Kumada, K. Washio, R. Murata, K. Muraki, and T. Fujisawa, Physical Review B 88, 235409 (2013).
[7] 橋坂昌幸, 鎌田大, 藤澤利正, 熊田倫雄, 村木康二, 固体物理, vol. 49, No. 5, 359 (2014).
[8] H. Kamata, T. Ota, K. Muraki, and T. Fujisawa, Physical Review B 81, 085329 (2010).
[9] E. Bocquillon, V. Freulon, J-.M Berroir, P. Degiovanni, B. Plaçais, A. Cavanna, Y. Jin & G. Fève, Nature Communications 4, 1839 (2013).
[10] H. Inoue, A. Grivnin, N. Ofek, I. Neder, M. Heiblum, V. Umansky, and D. Mahalu, Physical Review Letters 112, 166801 (2014).
[11] V. Freulon, A. Marguerite, J.-M. Berroir, B. Plaçais, A. Cavanna, Y. Jin, and G. Fève, Nature Communications 6, 6854 (2015).

 

(NTT物性科学基礎研究所 橋坂 昌幸)


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