NanotechJapan Bulletin

      

文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム 秀でた利用成果
<2018年秀でた利用成果-6>
EI-MS/MSによるフルオロベンジル基を有する合成カンナビノイドのo-, m-, p-位置異性体識別
石川県警察本部科学捜査研究所 村上 貴哉,岩室 嘉晃,石丸 麗子,地中 啓
分子科学研究所 東林 修平,野田 一平,大原 三佳

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 (左から)石川県警察本部科学捜査研究所 村上 貴哉,岩室 嘉晃,石丸 麗子,地中 啓

 

 

 

(左から)分子科学研究所 東林 修平,大原 三佳

 

1.      はじめに

 「危険ドラッグ」と呼ばれる新規乱用薬物の摂取が原因となる死亡事案や交通事故が頻発し,大きな社会問題になった.それに伴い,我が国では法規制薬物の種類を大幅に増やし,薬物乱用の抑止に努めてきた(平成30年4月時点,指定薬物は2,373種類)[1].その結果,一時よりは流通に収束の傾向がみられるものの,依然として,法の網を逃れるように,僅かに化学構造を変化させた薬物が新たに生み出され,いわゆる“いたちごっこ”の状態が続いている.

 このような現状の中,危険ドラッグ鑑定では構造異性体も含めて薬物の化学構造を厳密に同定し,それが法規制されているのか否かを正確に判断しなくてはならない.法科学分野における薬物分析では,専らガスクロマトグラフ質量分析法や液体クロマトグラフ質量分析法が用いられているが,危険ドラッグの主たる薬物群「合成カンナビノイド」に分類され,フルオロベンジル基をN-1位に有する新規乱用薬物(図1)の芳香環上のフッ素のortho, meta, para位置異性体に関しては,保持時間の差が得られ難く,マススペクトルもほぼ同一のパターンを示すことから,これらを識別することは困難であるとされてきた.しかし,フッ素の結合位置によって法律の適用の可否が異なることから,これらを確実に識別できる分析法の確立が喫緊の課題であった.そこで我々は,次項に示すエネルギー分解質量分析(energy-resolved mass spectrometry: ERMS)に着目し,得られるマススペクトルデータを定量的に解析したところ,異性体識別し得る有用な方法論を見出すことに成功した.さらに,文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業(分子科学研究所 分子・物質合成プラットフォーム)における有機合成の支援によって,この方法論を一連の合成カンナビノイド全般にまで適用することができるようになった.本稿では,これらの成果を取りまとめ,危険ドラッグの新たな位置異性体識別法として紹介する.

図1  フルオロベンジル基を有する合成カンナビノイドの例

 2.      エネルギー分解質量分析(ERMS

 タンデム型やイオントラップ型の質量分析装置は,イオン源にて生じた特定のイオン(プリカーサーイオン)に,コリジョンエネルギー(CE)を与えて衝突誘起解離(collision-induced dissociation: CID)させることで,さらに開裂が進行したフラグメントイオン(プロダクトイオン)を得ることが可能である.ERMSは,CEを走査して各CE値におけるプロダクトイオンデータをクロマトタイムスケールで取得する分析法であり,活性化に伴うイオンの開裂挙動を詳細に追跡することができる[2–7].本研究では,全都道府県警察に一律に配備されている電子イオン化-トリプル四重極型質量分析装置(EI-MS/MS)を用いて,位置異性部位を含むプリカーサーイオンについてERMSを行い,得られるプロダクトイオンの種類や収量変化を異性体間で比較・評価した.

 3.      AB-FUBINACAとその位置異性体の識別分析[8]

 フルオロベンジル基を有する合成カンナビノイドのうち,代表的なものの1つに,N-(1-amino-3-methyl-1-oxobutan-2-yl)-1-(4-fluorobenzyl)-1H-indazole-3-carboxamide(通称名 AB-FUBINACA)がある.AB-FUBINACAは,CB1受容体のアゴニストとしてPfizer社が初めて合成し,特許を得たものであるが[9],2012年初め頃に危険ドラッグ成分として出現し[10],その後多くの危険ドラッグ製品から検出された[11].厚生労働省は同年12月にこれを指定薬物として規制したが,後にフッ素のortho体の流通も確認され,2015年11月に同じく指定薬物に指定された.その一方,meta体は法規制の対象外となっている.

 AB-FUBINACA(para体)およびその位置異性体(ortho, meta体)の3化合物について,フルスキャン分析における主たるフラグメントイオンであるm/z 253([M-NHCH(i-Pr)CONH2]+)をプリカーサーイオンとしてERMSを行った.その結果,得られたプロダクトイオンはCE値を問わず異性体間で同一であったが,CEに対するプロダクトイオンのシグナル強度変化を示すブレイクダウン図より,m/z 109(フルオロベンジルカチオン)とm/z 253のシグナル強度にそれぞれ僅かながら差異が認められた(図2).そこで,m/z 109のm/z 253に対するシグナル強度の比の対数値ln(A109/A253)を各CE値に対してプロットしたところ,図3に示すように,常にmeta < ortho < paraの関係にあることが明らかとなった.これはすなわち,フルオロベンジル基のインダゾール部位からの脱離のし易さは,芳香環上のフッ素の結合位置によって異なり,上記の関係にあると言い換えることができる.密度汎関数法により,インダゾール-フルオロベンジル間の解離エネルギーはpara < ortho < metaと算出されたことから,本反応はmeta < ortho < paraの順で生起し易いと判断され,ERMSで得られた結果を支持した.また,図3の各位置異性体のプロットはいずれも良好な直線性を示したことから,CID反応において,この脱離反応が最も支配的であることが示唆された.

 

図2  AB-FUBINACA(para体)およびその位置異性体(ortho, meta体)の
ブレイクダウン図(プリカーサーイオンm/z 253)

 

 

図3  AB-FUBINACA(para体)およびその位置異性体(ortho, meta体)の
各コリジョンエネルギー値におけるln(A109/A253)プロット

 

 以上のように,ERMSを行い,複数のCE値においてmeta < ortho < paraの関係を総合的に確認することによって,より信頼性高く明確にAB-FUBINACAとその位置異性体を識別することができるようになった[11].

 4.      モデル化合物を用いた各種合成カンナビノイドのフッ素結合位置の特定[12]

 AB-FUBINACAの他にも,図1に示すような共通の骨格をもつ類似化合物の流通も複数確認されており,これらは現在para体のみ法規制され,ortho体,meta体は法規制の対象外となっている.これらの合成カンナビノイドに対しても同様に位置異性体識別できるようにするため,我々は「モデル化合物」を創出し,以下のようなアプローチでフッ素の結合位置を特定する方法を見出した.

 まず,文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業の支援を通じて,当該合成カンナビノイドの共通構造を有するモデル化合物1-[1-(2-, 3-, or 4-fluorobenzyl)-1H-indazol-3-yl]ethanone(o-, m-, p-FUBINAE)を合成した(図4).o-, m-, p-FUBINAEについてフルスキャン分析を行ったところ,m/z 253のフラグメントイオンを確認できたことから,これをプリカーサーイオンとして同様にERMSを行った.その結果,ln(A109/A253)プロットは前項と同じくmeta < ortho < paraの関係にあった.AB-FUBINACAの各位置異性体についても,同分析条件下でERMSを行い,得られたプロットをo-, m-, p-FUBINAEのプロットと重ね合わせたところ,フッ素の結合位置に応じてプロットは一致することが明らかとなった(図5).さらに,各種フルオロベンジル基を有する合成カンナビノイド(ADB-FUBINACA, FUB-AMB, FUB-APINACA, FUB-NPB-22, FU-PX-2;いずれもフッ素はpara位)および実際の危険ドラッグ製品(AB-FUBINACAが含有されたもの)のメタノール抽出物についてもプロットを重ね合わせたところ,いずれのプロットもp-FUBINAEのプロットと一致することがわかった(図6).これらの結果より,モデル化合物のプロットに対し,実際の危険ドラッグのプロットを対照することによって,フッ素の結合位置を容易に理解することができることが示された.

 

図4  モデル化合物o-, m-, p-FUBINAEの合成

 

図5  モデル化合物o-, m-, p-FUBINAEとAB-FUBINACA(para体)
およびその位置異性体(ortho, meta体)のln(A109/A253)プロットの重ね合わせ

 

図6  モデル化合物o-, m-, p-FUBINAEと各種合成カンナビノイド
(ADB-FUBINACA, FUB-AMB, FUB-APINACA, FUB-NPB-22, FU-PX-2)
および危険ドラッグ製品(AB-FUBINACA含有のもの)のメタノール抽出物のln(A109/A253)プロットの重ね合わせ

5.      まとめ

 本研究によって,特定のプロダクトイオンのシグナル強度に着目した新たな位置異性体識別法を確立し,これまで識別が困難であったフルオロベンジル基を有する合成カンナビノイドの芳香環上のフッ素の結合位置を明確に識別することができるようになった.なお,本識別法は,エレクトロスプレーイオン化法でも同様に解析が可能であり[13],加えて,危険ドラッグのもうひとつの主たる薬物群「カチノン類」の芳香環上にフッ素を有する薬物の位置異性体識別にも応用することが可能である[14].

 我が国での危険ドラッグの流通は,法規制の強化により,ある程度収束しつつあるものの,世界に目を向ければ,今なお流通は続いており,むしろ以前にも増して人体に有害な薬物が数々出回っている.したがって,今後も継続的に新規乱用薬物の出現に注視し,科学的なデータの蓄積や分析法の開発・高度化に努めていく必要がある.

 

謝辞

文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム事業(分子科学研究所 分子・物質合成プラットフォーム)を通じ,目的化合物を純度良く迅速に合成していただきました.この場を借りて心より御礼申し上げます.また,本研究の一部は,JSPS科研費(15H00542)の支援を受けて行われました.

 

参考文献

[1] 花尻(木倉)瑠理,薬剤学 75, 121–127 (2015)
[2] S.A. McLuckey, G.L. Glish, and R.G. Cooks, Int. J. Mass Spectrom. Ion Phys. 39, 219–230 (1981)
[3] D.D. Fetterolf and R.A. Yost, Int. J. Mass Spectrom. Ion Phys. 44, 37–50 (1982)
[4] P.J.R. Sjöberg and K.E. Markides. J. Mass. Spectrom. 33, 872–883 (1998)
[5] A.G. Harrison, Rapid Commun. Mass Spectrom., 13, 1663–1670 (1999)
[6] A. Kurimoto, S. Daikoku, S. Mutsuga, and O. Kanie, Anal. Chem. 78, 3461–3466 (2006)
[7] A. Toyama, H. Nakagawa, K. Matsuda, T. Sato, Y. Nakamura, and K. Ueda, Anal. Chem. 84, 9655–9662 (2012)
[8] T. Murakami, Y. Iwamuro, R. Ishimaru, S. Chinaka, N. Sugimura, and N. Takayama, J. Mass Spectrom. 51, 1016-1022 (2016)
[9] I.P. Buchler, M.J. Hayes, S.G. Hegde, S.L. Hockerman, D.E. Jones, S.W. Kortum, J.G. Rico, R.E. Tenbrink, and K.K. Wu. Indazole derivatives Patent No. WO2009/106980 A2, Pfizer Inc., New York, USA (2009)
[10] N. Uchiyama, S. Matsuda, D. Wakana, R. Kikura-Hanajiri, and Y. Goda, Forensic Toxicol. 31, 93-100 (2013)
[11] U.S. Depeartment of Justice, Drug Enforcement Administration, Office of Diversion Control, 2013 Midyear Report. https://www.deadiversion.usdoj.gov/nflis/2013midyear.pdf (2014) [Accessed 20 April 2018]
[12] T. Murakami, Y. Iwamuro, R. Ishimaru, S. Chinaka, I. Noda, S. Higashibayashi, and N. Takayama, Jpn. J. Forensic Sci. Tech. 22, 133–143 (2017)
[13] T. Murakami, Y. Iwamuro, R. Ishimaru, S. Chinaka, N. Takayama, and H. Hasegawa, Forensic Toxicol. in press (2018) doi: 10.1007/s11419-018-0410-4
[14] 村上貴哉,岩室嘉晃,石丸麗子,坂本雄紀,杉村夏彦,地中 啓,日本法中毒学会第36年会(2017年7月6日-7日)

 

(石川県警察本部科学捜査研究所 村上 貴哉)


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