NanotechJapan Bulletin

      


<第65回>
新炭素素材グラフェンによるインフルエンザウイルス高感度検出センサーの開発
大阪大学 松本 和彦氏,小野 尭生氏,株式会社村田製作所 木村 雅彦氏に聞く

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 第17回国際ナノテクノロジー総合展の最終日2018年2月16日に,優秀展示に対する表彰式が行われ,国立研究開発法人 科学技術研究機構(JST)の産学連携チーム(大阪大学,中部大学,香川大学,京都府立医科大学,株式会社村田製作所)に産学連携賞が授与された.受賞理由は「新炭素素材グラフェンを用いてインフルエンザウイルスを高感度で検出できるセンサーを開発した.手のひらサイズで瞬時に計測できるため,インフルエンザの流行を未然に防げるほか,創薬研究にも役立つ点を賞す.」であった.

 その大変興味深い研究開発内容を取材するため,大阪大学 産業科学研究所の特任教授 松本 和彦(まつもと かずひこ)氏を訪問し,JSTの戦略的創造研究推進事業CREST(研究チーム型)の研究課題の代表研究者である松本氏,担当者の同研究所 助教 小野 尭生(おの たかお)氏,株式会社村田製作所の木村 雅彦(きむら まさひこ)氏から研究開発の詳細を伺った.

 

写真 手前左から,木村 雅彦氏**,松本 和彦氏*,
後ろ左から,小野 尭生氏*,牛場 翔太(うしば しょうた)氏**,金井 康(かない やすし)氏
*:大阪大学 産業科学研究所,**:株式会社村田製作所

 

1.産学連携チームの狙い

1.1 JST CRESTの研究課題

 この研究は,JSTのCRESTで研究領域「二次元機能性原子・分子薄膜の創製と利用に資する基盤技術の創出」(研究総括:黒部 篤((株)東芝 研究開発センター 首席技監))における研究課題「糖鎖機能化グラフェンを用いた二次元生体モデルプラットフォームの創成(平成27年10月~平成33年3月)」(研究代表者:松本 和彦(大阪大学 産業科学研究所 特任教授))で行ったものである.参画機関は大阪大学(阪大),京都府立医科大学(京府医大),中部大学,香川大学,株式会社村田製作所(村田製作所)である.

 この研究課題は図1の右下に模式図で示すグラフェンFETのチャネル部分のグラフェンに生体を模擬した構造を作り,そこで起こる反応,例えばウイルスの結合をその場で電気的に検出する高感度で簡便なバイオセンサーを実現する二次元生体モデルプラットフォームを創出することを目標とする.この研究でバイオセンサーに期待することは,図1に示すように,鳥インフルエンザウイルスの検出,それがヒト感染性を持つかどうかの即座の判断,非常に簡便で持ち運びができその場計測ができる機器の実現,さらに,創薬において,インフルエンザへの効き目の判断への応用や,インフルエンザ亜型の迅速な判断等である.

 

図1 グラフェンFETバイオセンサーの特徴と目標とする応用

 

 図2にこの研究課題を遂行するに当たっての,各機関の役割分担を示す.3グループに分けられ,阪大/村田製作所グループは,グラフェンFETを作製する中心的な役割で,これに他のグループの成果を統合してウイルス評価システムを構築する.中部大/香川大グループは,グラフェン上に形成する生体を模擬した構造の主役である糖鎖という分子に詳しく,これを鶏卵その他の自然界から抽出する技術を持っており,さらに,糖鎖とウイルスの関わり合いを研究しているので,ウイルスを捕足する糖鎖を探索し,提供する役割を担う.一方,京府医大グループは,ウイルスがまん延している海外に赴いてウイルスを採取研究しており,素人が扱えないウイルスを無害化して実験に提供する役割を担当する.

 

図2 研究課題の分担実行体制

 

1.2 グラフェン・バイオセンサーの開発に至る経緯と標的の鳥インフルエンザについて

 研究課題の代表研究者の松本氏は,2003年阪大産業科学研究所の教授になる前は国立研究開発法人産業技術総合研究所においてカーボンナノチューブ(CNT)の研究をしており,阪大移籍のころからCNTの新しい適用分野としてバイオセンサーの研究を始めた.CNTの特性を生かした高感度特性を期待したものであるが,CNTの直径のばらつきによる特性のばらつきや,電流が微小で感度が上がらない問題があった.悩んでいた時にグラフェンに出会って,グラフェンに取り換えたところ,上記CNTでの二つの問題が大幅に改善され,以後,グラフェン・バイオセンサーの研究を続けている.図3にJSTの論文検索システムで調べたCNTバイオセンサーとグラフェン・バイオセンサーの論文数の推移を示す.赤い矢印は,松本氏が世界で初めてグラフェン・バイオセンサーを開発し(後で説明),Nano Lettersに発表した時期を示す.この発表が注目を集め,以後グラフェン・バイオセンサーの研究が盛んに行われるようになった.

 

図3 CNTバイオセンサーとグラフェン・バイオセンサーの論文数の検索データ

 

 今回の研究課題のグラフェン・バイオセンサーで検出する対象物として鳥インフルエンザを選んだ理由は,鳥インフルエンザが突然変異でヒトに感染するようになった場合の対策が世界中で議論されており,また,ウイルスは1粒子からでも爆発的に増殖して感染を引き起こすことから,グラフェン・バイオセンサーの高感度性を活かす絶好のターゲットと考えたからである,と説明された.過去を振り返ると1918年~1919年のスペイン風邪では世界で4000万人が死亡し,日本でも当時の人口の約1%に近い48万人が亡くなっている.今年はそれから100年目に当たる.通常,鳥インフルエンザにはヒト適応性はなく,ヒトには感染しない.しかし,例えば,家畜への感染を経て変異し,ヒト適応性を持った新しいウイルスが発生すると,ヒトは免疫を持たないので,高い致死率のウイルスが爆発的に感染を広げる可能性があり,スペイン風邪を再現する事態になりかねない.

 これに対処するには,現在の検出法,即ち,ウイルスを7~10日かけて培養・増殖して検出する方法では対策遅れとなる.培養・増殖しなくても検出できる高感度な検出法が望まれる.抗ウイルス薬開発に際しても,その効果確認には同様なことが言える.

 

2.グラフェンFETバイオセンサーについて

2.1 高感度検出のメカニズム [1]

 グラフェンFETの高感度特性は,カーボンの6員環結晶構造の単原子層薄膜(角に原子がある6角形を2次元に敷き詰めた構造)であるグラフェンの次の3つの特長により得られる.

  • 電荷のキャリアが極めて高移動度である(~2000,000cm2/Vs)[2]
  • 比表面積が極めて大きいので周囲の環境に敏感である
  • 検体分子を直接グラフェンに固定できる

 図4の左図にグラフェンFETの構造と測定法を示す.グラフェンはシリコン基板表面の酸化膜上に転写され,チャネルを形成する.左右のソースとドレイン電極(Ti/AuあるいはNi/Au)間に加える電圧によりグラフェンに流れる電流を測定する.ここで,チャネルに相当するグラフェンを電解液で覆って,これをゲートとする.電解液ではイオンが自由に動きグラフェン上に電気二重層が形成され,電解液に接続したゲート電極(Ag/AgCl)に加える電圧によって電気二重層の電荷を変化させ,チャネル電流を制御できる.図4ではこのグラフェンに被検体としてタンパク質が吸着している.このタンパク質は負の電荷を帯びており,これによりグラフェン内に正の電荷が誘導され,チャネル電流が変化するので,付着物を検出できる.図4の右図はグラフェンFETの表面形状を示す顕微鏡写真である.白いバーがソースとドレインの電極で,点線で囲まれた領域がグラフェンの存在領域である.実験では,グラフェンはグラファイトの結晶からの剥離によって作っている.

 

図4 グラフェンFETの構造と測定法(左図),顕微鏡写真(右図)

 

 グラフェンの高いキャリア移動度とグラフェンFETの検出感度の関係は,バンド構造(結晶内の電子のエネルギー準位がとる帯状の構造)で説明することができる.半導体材料は伝導帯と価電子帯の間にエネルギーギャップ,即ち禁制帯があり,pn接合を作ることができ,これを利用して半導体デバイスを形成している.しかし,グラフェンのバンド構造は,伝導帯と価電子帯が図5の二つの逆向きに繋がったコーンのように交わっており,禁制帯で分離されていないので,pn接合を利用できず,電子デバイスとしての応用展開に制限を加えている.しかし,このバイオセンサーとしてのFETは,そのグラフェンのユニークな特徴を利用することで,他の手法で追随できない高感度を実現している.

 

図5 グラフェンFETによる高感度バイオセンサーの原理

 

 図5に,ゲート印加電圧VGとソース・ドレイン間電流IDの関係を示す.緑の曲線はグラフェンに分子が付着していない場合,赤の曲線は正の電荷を持った分子が付着している場合である.ゲート電圧が正に振れた場合は伝導帯に流入した電子が電流のキャリアになり,ゲート電圧が負に振れた場合は価電子帯にできた正孔が電流のキャリアになる.従って,ゲート電圧に対して下方に切れ込んだ谷のようなV字型の曲線が得られる.そして,グラフェンはキャリア移動度が高いので,谷の傾斜は急峻である.グラフェンに正の電荷を持った分子が付着した場合のソース・ドレイン間電流の変化は赤い矢印で示される.谷の傾斜が急峻であるので,電荷の付加による緑から赤への曲線の移動は僅かでも,大きな電流変化が得られる.即ち感度が高いことになる.

 大阪大学の松本氏らの研究チームは2009年に,上記原理に基づくグラフェン・バイオセンサーを世界に先駆けてNano Lettersに発表した[3].この発表は,図3に示したように,学界に大きな影響を与えている.図6にその実験内容を示す.図6左図に示す実験モデルで,FETのゲートの働きをする電解液に,被検体としてタンパク質(ウシ血清アルブミン(BSA))を混入させ,その混入量を順次増やしていった時の,グラフェンへのタンパク質の付着によるソースとドレイン間のコンダクタンスの変化を図6右のグラフに示す.この実験で,検出限界はBSA濃度120pMであることが確認された.

 

図6 グラフェンFETによるタンパク質(BSA)検出実験

 

2.2 グラフェンFETにウイルス識別機能の付与

 前節では,非特異的に付着したタンパク質の判別例を説明したが,バイオセンサーとしては,特定ターゲット,例えばインフルエンザウイルスの亜型を選択して反応する特異性を持つ必要がある.そのために,ターゲットと特異的に結合する分子をグラフェンに修飾する技術を開発した.

 

(1)インフルエンザウイルスの亜型と感染性 [4]

 インフルエンザウイルス(図7)がヒトや鳥に感染する場合,ウイルスの球状の表面から突き出たヘマグルチニン(HA)というタンパク質とノイラミニダーゼ(NA)というタンパク質が重要な役割を果たす.HAを介して細胞表面の糖鎖に結合したウイルスは,細胞内で増殖し,NAの働きにより糖鎖を切断しながら脱離して感染を広げる.HAについては,H1から始まる記号の付いた亜型があり,現在H18まで見つけられている.また,NAについては,N1から始まる記号が付いていて現在N11まである.ちなみに,H1N1はスペイン風邪を起こした.鳥インフルエンザウイルスH5N1は世界16か国でこれまでに694人に感染し,うち402人が死亡している(致死率約58 %,2015年1月WHO資料).

 

図7 インフルエンザウイルスのヘマグルチニンとノイラミニダーゼ
(出典:生化学 87(3): 348-361 (2015) [4])

 

(2)インフルエンザウイルスと結合する糖鎖について [4][5]

 ヒト及び鳥インフルエンザウイルスは,図8に示すようにそれぞれヒト及び鳥の細胞の糖鎖に結合する.通常は,ヒトインフルエンザウイルスが鳥に,また,鳥インフルエンザウイルスがヒトに感染することはない.しかし,鳥インフルエンザウイルスがヒト適応型に変異する場合,ヒト及び鳥の糖鎖に結合することになる.ウイルスのHAはヒト及び鳥の糖鎖の端末のシアル酸に結合する.ところで,ヒトと鳥のシアル酸を比較するとガラクトースに対するシアル酸の接続位置の違いという構造上の違いのみである.一方HAにおける違いもわずかで,鳥インフルエンザのHAの4箇所の変化を人工的に加えることで,ヒト適応性を実現できたという.

 

図8 ヒト及び鳥の糖鎖とインフルエンザウイルスとの関係

 

 このように,鳥インフルエンザのヒト適応型への変異が起こる可能性は高く,鳥インフルエンザ発生の現地において,簡単に素早くインフルエンザウイルスを検出し,ヒト適応性の有無を判断できることが重要である.

 

(3)グラフェンFETによるウイルスの選択的検出 ~糖鎖機能化グラフェンFETの実現~

 グラフェンFETバイオセンサーはそのチャネル部分に相当するグラフェンに生体を模した機構を形成し,そこで起こる反応をFETの電気特性で検出するものである.この生体を模した構成としてヒトないし鳥インフルエンザウイルスと選択的に結合する糖鎖でグラフェンを修飾すれば,特定インフルエンザウイルスを検出するバイオセンサーができる.即ち,糖鎖修飾によりグラフェンを機能化することになる.

 図9は,ヒト型糖鎖修飾のグラフェンFETと鳥型糖鎖修飾のグラフェンFETを配置したバイオセンサーの例である.ヒトインフルエンザウイルス,鳥インフルエンザウイルス,及び,ヒト適応型鳥インフルエンザウイルスを即座に識別検出できる.

 

図9 ウイルスの選択的検出

 

(4)FETチャネルのグラフェンを糖鎖で修飾する手法の開発 [1]

 グラフェンに糖鎖を修飾するに当たって,糖鎖を共有結合でグラフェンに接続するのではグラフェンの結晶構造に影響して特性劣化を招くので,結晶構造に影響しない接続手法として,グラフェンにあるπ電子を活用して他のπ電子を有する物質との間に発生するπ-π相互作用の活用を着想した.

 図10に開発した糖鎖をグラフェンに固定する手法を示す.糖鎖のグラフェンへの固定は,1-ピレンブタン酸スクシンイミジルエステルというリンカーを介して行う.この分子は図中に示すように,ピレン(C16H10)というベンゼン環4個を平面的に並べた構造を持っており,グラフェンの6員環と重なって,π-π相互作用でグラフェンと結合する.この分子のもう一方の端は,スクシンイミド基があり,糖鎖末端に修飾されたアミノ基と結合する.このような仕組みでFETのチャネルを構成するグラフェンに糖鎖を修飾した.

 

図10 グラフェンへの糖鎖の修飾

 

 なお,糖鎖の持つ負の電荷により,図5に示すグラフェンFETのV字カーブはゲート電圧の正の方向に若干シフトする.逆にこれを用いて糖鎖の付き具合をチェックすることができる.

 

3.グラフェンFETバイオセンサーによるインフルエンザウイルスの測定評価 [6]

(1)糖鎖修飾グラフェンFETによるインフルエンザウイルスの検出実験

 図11に糖鎖修飾グラフェンFETによるインフルエンザウイルスの検出実験装置の構成と写真を示す.ソースとドレイン間のグラフェンには図10に示す糖鎖が林立している.ゲートはゴムプールの中に充填された電解液(リン酸緩衝液:PBS)であり,Ag/AgClのゲート電極からゲート電圧を印加する.

 

図11 糖鎖修飾グラフェンFETによるインフルエンザウイルスの検出実験装置

 

 この実験の結果,ウイルスが持つ負の表面電荷による伝達特性(V字曲線)のVG軸正方向へのシフトが観測され,従来一週間以上掛かったウイルスの検出が,20分台で可能となることが確認された.

 

(2)インフルエンザウイルスの検出感度評価
~AFM及び蛍光顕微鏡によるウイルス捕捉の実態観察と電気的検出とのつきあわせ~

 ウイルスのサイズは約100nmであり,AFM観察によるグラフェン上の約70nmの高さの山が糖鎖に結合したウイルスと考えられた.さらに確認のため,蛍光材料をウイルス表面に結合させたところ,先の山とウイルスに結合した蛍光材料の位置が符合することを確認した.このことで,AFM像からグラフェンチャネル上の結合ウイルスの数を数えることができることとなった.即ち,ウイルスを集団ではなく個数として電気特性との関係付けができるようになった.「グラフェンFETで数個のウイルスを検出することも夢ではなくなった」と小野氏は語った.

 

(3)実用化に向けての課題

 これまで実験してきたグラフェンFETでは,グラフェンは剥離法によって作製しており,製造効率,特性ばらつき,歩留まりや再現性に問題がある.現在,大面積化,チップ上の均一性,量産性等の特長があるCVD合成グラフェンによるFETの研究開発を進めている.チップ上に82個のFETを集積し,同時に多点計測を行い,平均・標準偏差,最小/最大等の解析を,それ用のソフトを作り進めている.これにより歩留まり,再現性も格段に向上している.こうした研究展開には村田製作所が力を発揮している.現在は,82個のFETが同一機能のFETであるが,将来は,FETによって検出ウイルスの種類を変えることも考えるとしている.

 

(4)ポータブルバイオセンサーの開発と現地実験計画

 上記グラフェンFETバイオセンサーの測定実験は研究室内の二つの机の上にプローバー,パラメータアナライザー,パソコン等からなる評価システムを展開して行っているが,村田製作所が図12に示すポータブルな手のひらサイズの小型測定器を開発した.これとノートパソコンを用いれば,図中に示すV字曲線を評価することができる.グラフェンFETバイオセンサーは,図12右上の写真に示すヘッダーに組み込まれており,小型測定器に挿入して電気測定を行う.この小型測定器により,例えば鳥インフルエンザ検出の現地での測定とその場での識別も可能になると期待される.

 

図12 村田製作所開発のグラフェンFETバイオセンサー小型測定器

 

 現在,グラフェンFETバイオセンサーの実証実験として,エジプトのナイル川周辺地域で,鳥インフルエンザウイルスを対象とする実施計画を進めている.ナイル川周辺地域は,世界にある多くの鳥インフルエンザ感染地域のなかでも,近年最も多くヒト感染例が報告され,死者も出ている.鳥インフルエンザの感染が多いところは,そのヒト適応型への変異も起こりやすいと考えられる.また,京府医大のメンバーは以前から,この地域で鳥インフルエンザの研究を行ってきているので,その経験を活かして,グラフェンFETバイオセンサーの実験を行う計画である.

 

4.糖鎖機能化グラフェンFETの抗ウイルス薬評価への適用

 糖鎖機能化グラフェンFETの適用分野はインフルエンザウイルスの検出に留まらない.一例として,抗ウイルス薬の評価への適用がある.

 

(1)インフルエンザウイルス感染の広がりのメカニズムと抗ウイルス薬の役割

 インフルエンザウイルス感染の広がりには,2.2節(1)で述べたように,ウイルスの持つヘマグルチニン(HA)という分子とノイラミニダーゼ(NA)という分子の,生体の糖鎖との反応に関係する.まず,HA分子が糖鎖のシアル酸と結合し,細胞内で増殖し,次にNA分子がシアル酸を糖鎖から切断してウイルスを細胞から切り離し,そのウイルスが別の細胞へと広がっていく.抗ウイルス薬のザナミビル(商品名:リレンザ®)の機能は,NA分子の機能を封じて,ウイルスが他の細胞に拡散することを防ぐことである.従って感染の初期に効果を発揮する.

 

(2)抗ウイルス薬の機能とグラフェンFETによる効能の評価

 図13にザナミビル(リレンザ®)の抗ウイルスの作用のメカニズムを示す.インフルエンザウイルスに付随しているNA分子はウイルスが結合している糖鎖の一部であるシアル酸と反応してこれを切り取ることで,ウイルスを糖鎖から切り離し,ウイルスは別の細胞に向かう.ザナミビルはシアル酸と類似の構造を持ち,糖鎖のシアル酸より先にNA分子と反応することで,NA分子の糖鎖のシアル酸との反応を阻止する.これにより,ウイルスの拡散を阻止することができる.

 

図13 抗ウイルス薬の作用メカニズムと糖鎖機能化グラフェンFETによる効果確認

 

 糖鎖機能化グラフェンFETはグラフェン上で上記反応を模擬的に起こさせ,薬剤の効果を電気特性から定量的に評価することができる.図13の右下のグラフは,抗ウイルス薬の効果を糖鎖機能化グラフェンFETを用いて確認した例で,ゲートの電解液に抗ウイルス薬ザナミビルを添加している場合としていない場合に,NA分子を滴下して,VG-ID特性の変化を調べたもので,滴下前を黒の実線で,滴下後を赤線で記した.ザナミビルがない場合は,NA分子により糖鎖の中のシアル酸が切り取られ,シアル酸の負電荷が無くなる影響で赤い破線のように特性曲線がシフトする.一方ザナミビルが有る場合はNA分子の機能は阻害されて,糖鎖は影響を受けず,特性曲線はシフトせず,黒線の上に留まっている.このように,ザナミビルの効果は確認される.

 

5.おわりに

 グラフェンにFETによるバイオセンサーという新しい応用分野が拓かれつつある.グラフェンだからできる超高感度で,従来,インフルエンザウイルスの識別には一週間以上の培養増殖による100万個のウイルスが必要であったのが,インフルエンザウイルスが数個以上あればその場で識別できるようになる可能性がある.新種のインフルエンザに対する抗ウイルス剤の開発においても,その効果を即座に評価できて,早期の薬剤開発にも貢献する.鳥インフルエンザのヒト適応型への変異によるかつてのスペイン風邪のようなインフルエンザ大流行の悲劇を防ぐための有力な手段である.

 このバイオセンサー実現の鍵の一つは,糖鎖機能化グラフェンである.グラフェンの性能を落とすことなく,グラフェンに糖鎖を修飾し,そこで起こる生体を模擬した反応を高感度に,定量的に測定できる仕組みが構築できた.糖鎖機能化グラフェンFETは,二次元生体モデルプラットフォームとして広いアプリケーションの展開が予想される.そのための現在の課題は,CVDで合成するグラフェンの品質及び糖鎖の生産性を高め,センサーとしてばらつきを抑えることである.

 本研究の進展は,工学・生物学・医学の異分野融合と,産学の連携が実を結んだものであることを特記したい.

 

参考文献

[1] 小野尭生,金井康,奥田聡志,大野恭秀,前橋兼三,井上恒一,松本和彦,「グラフェンを基板としたバイオセンシング」,電子情報通信学会論文誌C,Vol. J100-C, No. 11, pp. 528-536 (2017).
[2] E. H. Hwang, S. Adam, and S. Das Sarma,” Carrier Transport in Two-Dimensional Graphene Layers”, Phys. Rev. Lett. 98, 186806 (2007).
[3] Yasuhide Ohno, Kenzo Maehashi, Yusuke Yamashiro and Kazuhiko Matsumoto, “Electrolyte-Gated Graphene Field-Effect Transistors for Detecting pH and Protein Adsorption”, Nano Letters, 2009, Vol. 9, No. 9, pp. 3318-3322 (2009).
[4] 鈴木 康夫,「インフルエンザウイルスのシアロ糖鎖生物学―鳥インフルエンザウイルスのヒト適応性変異の分子基盤」Journal of Japanese Biochemical Society 87(3): 348-361 (2015) doi:10.14952/SEIKAGAKU.2015.870348
[5] Yohei Watanabe, Madiha S. Ibrahim, Hany F. Ellakany, Norihito Kawashita, Rika Mizuike, Hiroaki Hiramatsu, Nogluk Sriwilaijaroen, Tatsuya Takagi, Yasuo Suzuki, and Kazuyoshi Ikuta, “Acquisition of Human-Type Receptor Binding Specificity by New H5N1 Influenza Virus Sublineages during Their Emergence in Birds in Egypt”, PLoS Pathog 7(5): e1002068. https://doi.org/10.1371/journal.ppat.1002068.
[6] 「鳥インフルエンザのヒト感染性をグラフェンでスピード察知」JSTnews, July 2018, pp. 12-13 https://www.jst.go.jp/pr/jst-news/pdf/2018_07/2018_07_p12-13.pdf

本文中の図面はすべて大阪大学から提供されたものである.

(向井 久和)

 

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