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文部科学省ナノテクノロジープラットフォーム 秀でた利用6大成果
弾性応力下におけるマルテンサイト鋼中の水素起因格子欠陥の形成促進と水素脆化
上智大学 土信田 知樹,鈴木 啓史,高井 健一,日本原子力研究開発機構 平出 哲也
産業技術総合研究所 大島 永康

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1.はじめに [1]

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(左から) 上智大学 土信田 知樹,鈴木 啓史,高井 健一,日本原子力研究開発機構 平出 哲也,
産業技術総合研究所 大島 永康


 水素を含んだ鉄鋼材料は含まないものに比べ,応力付与によって延性低下が著しく進展し,より破断しやすくなることが知られており,この現象は「水素脆化」とよばれている.インフラ設備や自動車の部材として用いる鉄鋼材料の高強度化は,部材量の減少・軽量化につながるため,省エネルギー・省資源社会の構築に重要な技術課題であるが,鉄鋼材料を高強度化するほど,水素脆化がより顕著となる傾向があり問題となっている.また,地球温暖化の一要因とされるCO2の排出量削減のために,化石燃料に代わり水素エネルギーを利用する社会体制の構築が急がれてはいるが,特に鉄鋼材料を水素輸送・水素貯蔵のための部材として利用する際の水素脆化によるリスクが懸念されている.

 水素脆化のメカニズムが理解できれば,水素脆性克服へ向けた効率的な材料設計指針が得られ,安全で環境性能に優れた高強度鋼の創製ができ,省エネルギー・省資源・水素エネルギー社会の構築をより効率的に促進できるはずである.このため,水素脆化は世界中で研究されているが,未だに統一したメカニズムの解明・理解までには至っていない.

 一般に,水素脆化は弾性応力下で長時間経過後に起こるため,水素の挙動に及ぼす弾性応力,および応力負荷時間の影響を調べることは重要である.しかし,高強度鋼中の水素の挙動に及ぼす弾性応力の影響,および応力負荷時間の影響について詳細な検討はなされていない.また,水素脆化の機構は,材料中の格子欠陥形成と深く関係するとされているが,一般に格子欠陥の実験的評価が難しいため不明な点が多い.特に,弾性応力下において水素脆化に至る過程を格子欠陥の観点から検討した報告は少ない.

 我々は,水素をトレーサーとした欠陥検出法,およびナノテクプラット微細構造解析・陽電子プローブマイクロアナライザー(PPMA)を用いて,一定弾性応力下に保持された焼戻しマルテンサイト鋼が水素によって破壊するまでに形成する格子欠陥の検出・分析を試みた.さらに,その形成した格子欠陥と水素脆化との関係についても検討した.これらの結果の詳細は,参考論文[2][3]等で報告している.本稿では,これら研究成果の一部を抜粋し,その概略を紹介する.


2.実験方法

2.1 供試材

 供試材には,焼入れ温度1010℃,焼戻し温度525℃で高周波焼入れ焼戻しを施した直径5mmの高周波焼入れ焼戻しマルテンサイト鋼を用いた.旧オーステナイト平均粒径は約12µmであった.焼戻しマルテンサイト鋼の公称応力-公称ひずみ曲線によれば,引張強さ(σB)は1433 Pa,0.2%耐力は1340MPaであった.破断ひずみ,一様伸び,絞りはそれぞれ9.7%,6.1%,66.4%であった.


2.2 水素添加法

 高強度鋼試験片の水素添加法には,FIP(国際プレストレストコンクリート連盟)で規定された50℃,20mass%NH4SCN水溶液浸漬法[4]を用いた.なお,水素添加前に試験片表面をエメリー紙#1000で機械研磨し,試験片の表面状態を均一にした.本研究では,試験片の水素添加を以下2つの目的のために実施した.

(1)試験片の水素脆化を進展させるためである.試験片に水素添加し弾性応力を負荷することで,水素脆化を進展させた.

(2)試験片の欠陥量を調べるためである.水素脆化を進展させた試験片を一旦完全に脱水素した後,無応力状態で水素を再添加し,その際の吸蔵水素量の増減から,格子欠陥量の増減を評価した.


2.3 欠陥検出・分析法

 本研究で用いた水素をトレーサーとした欠陥検出法,ならびにPPMAについて簡易に述べる.


2.3.1 水素をトレーサーとした欠陥検出法

 鋼中の水素は様々な格子欠陥にトラップされ[5][6][7],また,鋼中の格子欠陥が多いほど同一水素添加条件で吸蔵される水素量も増加することから[8],水素を格子欠陥検出のトレーサーとして利用できる.本研究では,欠陥評価の対象試験片を先ずは完全に脱水素した後,無応力状態で水素を再添加し,その際の吸蔵水素量の増減を分析することで格子欠陥量の増減を評価した.水素分析には昇温脱離分析法(TDA)を用い,室温から250℃まで100℃h-1で試験片を昇温し,その際放出される水素量をガスクロマトグラフで測定した.


2.3.2 陽電子プローブマイクロアナライザー(PPMA)

 PPMAは,走査型陽電子マイクロビームを用いた陽電子消滅寿命測定装置である(図1)[9][10].材料中の陽電子寿命は,格子欠陥の種類や濃度により影響を受けるため,陽電子寿命を測定することで,材料中の格子欠陥を評価することができる[11].本研究のPPMA分析では,陽電子ビームエネルギー30keV,走査ステップ0.2mm,ビーム径100µmの条件で1次元走査測定を行い,深さ1µm付近の欠陥情報を得た.


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図1 ナノテクプラット微細構造解析・陽電子プローブマイクロアナライザー(PPMA)の写真.[10]


2.4 一定弾性応力下で形成される格子欠陥量の時間依存性

 水素をトレーサーとした欠陥検出およびPPMAによる欠陥検出を主な目的として,以下2つの実験を実施した.


2.4.1 実験1(水素をトレーサーとした欠陥検出および電子顕微鏡による破面観察)

 試料を20mass%NH4SCN水溶液に浸漬しながら,一定弾性応力(0.6σB,0.8σB)を各時間(0h~破断まで)負荷した.その後,溶液から取り出し,破断してないものは水素添加中心部を長さ30mmに切断,また,破断したものは破面近傍部(破面から約1mm)を切断した.その後,無応力下で30℃恒温槽中に168h保持し完全に脱水素し,試験片の表面状態を均一にするためエメリー紙#1000で機械研磨した.これら試料の欠陥評価を,水素をトレーサーとした欠陥検出法を用いて行った.また,破断した試験片の破断面を電子顕微鏡により観察した.


2.4.2 実験2(PPMAによる欠陥検出)

 PPMA測定に適した形状(板厚1mm,標点距離20mm)へ加工した試験片を,次の3種類の条件で準備した.
(i):水素添加せず,応力を負荷していない試験片
(ii):水素添加せず(50℃の水中で),一定応力(0.7σB)を75h負荷した試験片
(iii):水素添加して(50℃の20mass%NH4SCN水溶液中で),一定応力(0.7σB)を負荷し75hで破断した試験片

 これら3種類の試験片の表面状態を均一にする目的でエメリー紙#1000で機械研磨した.さらに機械研磨により形成した表面加工層を除去するために,リン酸と過酸化水素水の混合液を用いて化学研磨を行った.その後,PPMAを用いて格子欠陥分布と種類を陽電子消滅寿命測定結果から分析した.


3.実験結果および考察

3.1 実験1の結果および考察

 実験の結果を図2に示す.50℃,20mass%NH4SCN水溶液に浸漬させながら一定弾性応力(0.6σB,0.8σB)を負荷した時間(0h~破断まで)と水素を格子欠陥のトレーサーとして用いたトレーサー水素量(格子欠陥量に相当)の関係を示したものである.どちらの負荷応力でも,破断前に取り出した水素添加材の中心部(長さ30mm)のトレーサー水素量(プロット:)は応力負荷初期(0~24h)とともに減少し,その後徐々に増加に転じた.0.6σBでは158h,0.8σBでは101hで試料は破断したが,破面近郊部(破面から約1mm)でのトレーサー水素量(プロット:)は,破面から離れた部分のトレーサー水素量(プロット:)に比べ著しく多い.


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図2 50℃,20mass%NH4SCN水溶液に浸漬させながら一定弾性応力(0.6σB,0.8σB)を負荷した時間(0h~破断まで)と水素を格子欠陥のトレーサーとして用いたトレーサー水素量(格子欠陥量に相当)の関係.[2][3]



 格子欠陥量の初期の減少は,可動転位の再配列と一部の転位の消滅が主な理由と考えられる.また,応力負荷時間とともに格子欠陥量は増加に転じるが,その増加速度は0.6σBよりも0.8σBの方が大きく,欠陥生成速度に差があるのが解る.破面近傍部におけるトレーサー水素量の著しい増加は,破面近傍部における格子欠陥の増加を意味し,何らかの格子欠陥が局所的に形成・蓄積することにより破断したと考えられる.また,興味深いことに0.6σBと0.8σB応力負荷材の破面近傍部のトレーサー水素量はほぼ等しい.

 図3に50℃,20mass%NH4SCN水溶液中にて一定弾性応力下0.8σBで破断した際の電子顕微鏡による破面観察結果を示す.図3(a)の巨視的破面から,ネッキングは認められず,フラットな部分とシェアリップが観察される.これは,平滑丸棒の焼戻しマルテンサイト鋼が一定弾性応力下で水素によって破壊する際によく見られる典型的な破壊形態である.図3(a)のフラットな部分を拡大したのが図3(b)であるが,主に擬へき開破面であり,延性破壊の関与が認められる.すなわち,一定弾性応力下の破壊でも,破面近傍の局所領域においては塑性変形の関与が示唆される.


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図3 50℃,20mass%NH4SCN水溶液中にて一定弾性応力下0.8σBで破断した破面の電子顕微鏡による観察結果.[2][3]



3.2 実験2の結果および考察

 PPMA測定した3種類の試験片の外観写真を図4に示す.(i)は応力無負荷材,(ii)は水中で0.7σB×75h負荷材,(iii)は50℃,20mass%NH4SCN水溶液中で0.7σB×75h負荷(破断)材である.図5はこれら試験片の平行部を引張方向に平行にスキャンした際の,平均陽電子消滅寿命を示したものである.(ii)の平均陽電子消滅寿命は約160psであり,水素を含まないで一定弾性応力のみ負荷しても(i)の無負荷材の値から変化はない.一方,(iii)の水素を含んで0.7σBの一定弾性応力下で破断した試験片の平行部(破面から離れた部分)の平均陽電子消滅寿命は約160psから170~180psへ増加する.さらに,破面近傍部(破面から約1mm以内)においては,破面の両側とも平均寿命が特に長く,200ps以上の長寿命成分が認められる.この格子欠陥の分布は,図2の水素をトレーサーとした格子欠陥量評価で得られた結果とよく一致している.平均寿命が200ps以上となったことから,試験片(iii)内に生成した格子欠陥は空孔あるいは空孔クラスターだと結論できる[12].


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図4 PPMA測定した3種類の試験片の外観写真.(i)は応力無負荷材,(ii)は水中で0.7σB×75h負荷材,(iii)は50℃,20mass%NH4SCN水溶液中で0.7σB×75h負荷(破断)材である.点線矢印は,PPMAによる一次元走査測定領域を示す.[2][3]



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図5 図4に示した試料群のPPMAによる測定結果.各試験片の平行部を引張方向にスキャンした際の,平均陽電子消滅寿命を示したもの.[2][3]



3.3 全実験結果の包括的な考察

 水素を含んで一定弾性応力下で破壊した破面近傍部の解析から,巨視的には塑性変形の関与は一見少ないように見えるが,①微視的観察から擬へき開破面,②水素をトレーサーとした評価から格子欠陥量の増加,③PPMAによる評価から長寿命成分の検出,の3つの結果が得られた.これらを総合すると,破面近傍の局所領域においては塑性変形が大きく関与し,転位ではなく空孔および空孔クラスターが局所的に形成・蓄積したと判断できる.

 著者の一部は水素添加した純鉄において,室温,真空チャンバ内にて弾性変形領域で繰返し応力を負荷した際に,繰返し応力に対応して水素放出が認められ,可動転位による水素の輸送を報告した[13].これらは,弾性応力下でも一部の可動転位がすべり,局所的には塑性変形が生じることを示す.なお,塑性変形過程で空孔形成が起こる機構として,双極子転位同士の相互作用[14]によるもの,およびらせん転位同士の切り合いによるものが知られている[15][16].

 応力負荷で増加した固溶水素や固溶水素と局所平衡する弱いトラップ状態の水素が,空孔にトラップされることで空孔がより安定化して存在し,また,すべりの集中した転位密度の高い領域では,転位の動的相互作用によってより空孔形成が活発になると考えられる.鋼中の空孔濃度が増加することにより,空孔の拡散[17][18]・凝集が生じ,空孔のクラスター化が起きる.それが微小ボイドとなり,き裂進展を容易にさせて[19]破断に至る.図2において,0.6σBと0.8σBで破断した破面近傍のトレーサー水素量,すなわち水素誘起格子欠陥量がほぼ等しいことから,ある一定量の空孔および空孔クラスターが蓄積すると破壊に至ると解釈できる.


4.まとめ

 焼戻しマルテンサイト鋼の一定弾性引張応力下における格子欠陥量の変化を,水素をトレーサーとした欠陥検出法,およびナノテクプラット微細構造解析・陽電子プローブマイクロアナライザー(PPMA)を用いて調べた結果,以下の知見が得られた.

・水素を含んで一定弾性応力下で破壊した材料の巨視的破面は脆性破面であるが,微視的破面は主に擬へき開破面であり,延性破壊の関与が認められる.

・水素をトレーサーとして格子欠陥量の変化を測定した結果,水素を含んで一定弾性応力を負荷すると,応力負荷初期に格子欠陥量は一旦減少し,その後,応力負荷時間とともに増加する.特に,破面近傍部の格子欠陥量は破面から離れた部分に比べ著しく増加する.また,陽電子プローブマイクロアナライザーにより格子欠陥の分布を測定した結果,水素を含んで一定弾性応力を負荷した試験片のみ平均寿命が長い.さらに,破面近傍部において特に平均寿命が長く,高密度の空孔,および空孔クラスターの形成を示している.

・水素を含んで異なる一定弾性応力下の0.6σBと0.8σBで破断した試験片の破面近傍のトレーサー水素量,すなわち水素誘起格子欠陥量はほぼ等しい.この結果は,ある臨界の空孔および空孔クラスター量に達すると破壊が生じることを示唆している.


参考文献

[1] 高井 健一,TALK ABOUT 21, SCAS NEWS 2009-II(Vol.30)pp.3-6.
[2] 土信田知樹,鈴木啓史,高井健一,大島永康,平出哲也,鉄と鋼Vol. 98 (2012), 7-56.
[3] T. Doshida, H. Suzuki, K. Takai, N. Oshima, T. Hirade, ISIJ International 52 (2012) 198-207.
[4] Fédération Internationale de la Précontrainte, Report on Prestressing Steel 5, Wexham Springs, Slough, (1980), Sep., 1.
[5] W. Y. Choo and J. Y. Lee: Metall. Trans. A, 13A(1982), 135.
[6] K. Ono and M. Meshii: Acta Metall. Mater., 40(1992), 1357.
[7] K. Takai and R. Watanuki: ISIJ Int., 43(2003), 520.
[8] K. Takai, K. Murakami, N. Yabe, H. Suzuki and Y. Hagihara: J. Jpn Inst. Met., 72(2008), 448.
[9] N. Oshima, R. Suzuki, T. Ohdaira, A. Kinomura, T. Narumi, A. Uedono and M. Fujinami: Appl. Phys. Lett. 94 (2009), 194104.
[10] 産総研プレスリリース「陽電子を用いた実用的な3次元極微欠陥分布イメージング法の開発」2008/08/28
[11] 陽電子計測の科学:日本アイソトープ協会編(1993).
[12] H. Ohkubo, Z. Tang, Y. Nagai, M. Hasegawa, T. Tawara and M. Kiritani: Mater. Sci. Eng. A, 350(2003), 95.
[13] H. Shoda, H. Suzuki, K. Takai and Y. Hagihara: ISIJ Int., 50(2010), 115.
[14] U. Essmann and H. Mughrabi: Philos. Mag. A, 40(1979), 731.
[15] A. M. Cuttino and M. Ortiz: Acta Metall., 44(1996), 427.
[16] Y. Kohda: Introduction to Metal Physics, Corona Publishing, Tokyo, (1997), 213.
[17] K. Arioka, T. Yamada, T. Terachi and T. Miyamoto: Corros. Sci., 64(2008), 691.
[18] K. Arioka, T. Miyamoto, T. Yamada and T. Terachi: Corros. Sci., 66(2010), 015008-1.
[19] M. Nagumo, H. Yoshida and Y. Shimomura: Mater. Trans., 42(2001), 132.


(産業技術総合研究所 大島 永康)


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