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企画特集 ナノテクノロジーPick Up ~新展開をもたらすナノテクノロジープラットフォーム~
<第10回>
SPring-8での微細構造解析による負熱膨張材の電荷ガラス状態解明
東京工業大学 フロンティア材料研究所 東 正樹
物質・材料研究機構 高輝度放射光ステーション 坂田 修身
量子科学技術研究開発機構 放射光科学研究センター 綿貫 徹

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 SPring-8は,兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出す理化学研究所の施設で,Super Photon ring-8 GeV(ギガ電子ボルト)を意味する名称である[1].SPring-8は国内外の産学官の研究者等に開かれた共同利用施設で,その運転管理と利用者支援等は高輝度光科学研究センター(JASRI)が行っている.「ナノテクノロジープラットフォーム事業」の「微細構造解析」プラットフォームとしては,物質・材料研究機構(NIMS)および量子科学技術研究開発機構(QST),日本原子力研究開発機構(JAEA)がそれぞれ所有する専用ビームラインと各種の計測装置を,広く産官学の研究者に活用する機会を提供している.

 今回,SPring-8での「微細構造解析」プラットフォーム(PF)を活用した研究成果として,「負の熱膨張材料の構造解析」を取り上げる.その材料の研究開発を推進している東京工業大学フロンティア材料研究所教授の東 正樹(あずま まさき)氏と,PF側からNIMSの高輝度放射光ステーション長の坂田修身(さかた おさみ)氏,QSTの放射光科学研究センター次長の綿貫徹(わたぬき てつ)氏にお話を伺った.


1.SPring-8での「微細構造解析」プラットフォーム

1.1 物質・材料研究機構の高輝度放射光ステーション概要とPF支援状況

 初めに,坂田氏からNIMS微細構造プラットフォーム設備の概要と利用状況について伺った.SPring-8にある60本のビームラインの内,NIMSは15番目のBL15XUを管理しており,「ナノテクノロジープラットフォーム事業」の微細構造解析PFとして,NIMS以外の所属の研究者が活用している.

 図1は,NIMSビームラインの光学系を描いたものである.SPring-8の全長1,436mにおよぶ円形の電子加速器リングで電子を光とほぼ等しい速度まで加速し,電磁石によって進行方向を曲げると直進方向に放射光が発生する.BL15XUでは,リボルバー型アンジュレーター磁石列を使用して,広い入射X線エネルギー分布を有する高輝度放射光を発生させている.Si結晶の2つの異なる面方位で反射分光してから,粉末や薄膜に対する高分解能X線回折や,硬X線光電子分光(HAXPES; Hard X-ray Photoelectron Spectroscopy)に使っている[2].


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図1 NIMSの放射光ビームライン(BL15XU)の光学系
(光学系については,例えば Y. Takata et al Nucl. Inst. & Method A 547, 50 (2005)を参照)


 図2は,HAXPES装置の写真である.2.2~10keVの硬X線を試料に照射し,物質内部の電子を励起して,外部に放出された光電子のエネルギーを分析する.装置全体は,実験ハッチの中に入れておき,放射線レベルが高いので外部から遠隔操作している.写真の左方にある半球状のものが,光電子エネルギー分析器である.測定された光電子スペクトルから,固体中での電子状態,電子の束縛エネルギーを求めることができるので,元素を特定するだけでなく,元素の酸化状態の違い(価数の違い)もわかる.今回の東京工業大学教授 東氏による負熱膨張材料の微細構造解析でも,HAXPES装置を用いて元素の価数を特定する測定が威力を発揮した.


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図2 NIMSの硬X線光電子分光装置(HAXPES)


 NIMSの専用ビームラインは,稼働時間の半分強をNIMS研究者が使用しているが,「ナノテクノロジープラットフォーム事業」の微細構造解析PFとして30~40%程はNIMS以外の所属の研究者が活用している.SPring-8では,1日24時間継続して放射光が使え,電力コストが高くなる夏と冬は休むが,年間約4,500時間稼働している.1日を3シフトで交替して実験し,1シフト8時間を単位にして,使用者を割り当てている.

 実験設備の利用計画は,半年毎に立てる.利用を申請するには,先ず申請書を約半年前に提出して,技術審査,および科学審査を受けて採択されることが必要となる.10ページ程の申請書には,実験の目的,実験に使用する試料や測定装置,測定範囲ほか,かなり明確で具体的な課題を設定して記載するので,NIMSのビームラインスタッフと事前に打ち合わせしておくことが求められる.実験時間はシフト単位で割り当て,1つの課題で1~2日(3~6シフト)程度が一般的である.

 実験装置毎にNIMSの担当者が決まっており,それぞれの担当者がユーザー対応をしている.「私が担当している装置では,申請書の作成から,測定,データ解析,さらに論文執筆まで,こちらが主導する場合もある.この装置を利用された方が主著者となる論文では,連名の著者に関しては利用者の判断にお任せしている.利用した装置に関わらず微細構造解析プラットフォームを活用された場合,論文の謝辞には微細構造解析プラットフォームの支援を受けている旨を記載するルールにしている.」と坂田氏は語った.

 利用料金は,利用者が大学や公的機関の場合には,1シフト(8時間)当たり10,104円(消費税別)としている[3].中小企業の場合はその2倍,大企業の場合は3倍の利用料金にしているが,自前で設備を購入することと比較すれば格安の利用料金といえよう.新材料の創製に向けて,材料の原子配列や電子状態について,SPring-8でしか測定できないユニークな装置を格安で利用でき,しかも専門スタッフがついて支援してくれるのは大変頼もしい.


1.2 量子科学技術研究開発機構の放射光科学研究センター概要とPF支援状況

 続いて綿貫氏に,QSTの微細構造プラットフォーム設備の概要と利用状況について伺った.国立研究開発法人 量子科学技術研究開発機構(National Institutes for Quantum and Radiological Science and Technology: QST)は,平成28年4月,放射線医学総合研究所の名称を変更し,日本原子力研究開発機構の一部を移管統合することにより発足した[4].図3の図はSPring-8におけるQSTの施設を示したもので,蓄積リングに2本の専用ビームライン:BL11XUとBL14B1を所有している.


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図3 SPring-8におけるQSTの施設


 NIMSと同様,「ナノテクノロジープラットフォーム事業」の微細構造解析PFとして,QST以外の一般研究者用にも活用している.ナノテクノロジーPFとして利用している割合は約30%で,半年で20件程度である.利用者は大学関係が多いが,企業や外国の機関も利用している.PF利用の手順は,NIMSの場合と同様,半年前に申請書を提出,審査会で承認されれば,QSTスタッフの支援の下でPF設備を使った実験に取り組める.実験の日数は,1つの課題で2~3日が多い.なお,PFで得られた研究成果は,実施報告書として公開される.また,SPring-8における成果公開の要件である論文等の発表が必要とされる.

 ナノテクノロジーPFとして利用できる微細構造解析装置で,QST専用ビームラインならではの特徴ある測定ができる[5].例えば,放射光メスバウアー分光装置では,放射光X線を超単色化させることができる.これを利用することにより,試料の表面および界面の局所磁性を原子層単位で探ることが可能であり,スピントロニクス分野での研究などに利用されている.また,共鳴非弾性X線散乱装置では,超伝導などの強相関電子系における電子系の相互作用の情報を得ることができる.同装置では,通常のXAFS(X-ray absorption fine structure)よりも高い分解能で電子状態を測定することもできるため,燃料電池でのPt触媒について反応進行時における酸化状態の詳細な観察の研究などにも活用されている.

 今回,東京工業大学 東氏による負熱膨張材料の微細構造解析で活躍したものの一つは,QSTの高速PDF(Pair Distribution Function,原子2体分布関数)測定装置である[6].図4に,高速PDF測定装置の写真(左下)と,測定原理を示す.70keV(波長λ=0.177Å)の高エネルギー単色X線を試料に照射し,試料からの全散乱X線を400mm×400mmの大面積2次元検出器で受光する.検出器としては,イメージングプレート(IP)とフラットパネル検出器(FP)が使用できる.Qmax =27Å-1(Qは散乱ベクトルでQ=4πsinθ/λ,2θは散乱角,λはX線の波長[Å]である)までの全散乱データを,2次元検出器で一度に検出しているので,サブ秒~数秒での高速測定ができる.高速化には,米国のAdvanced Photon Source(APS)で行われていたデータ補正なども含めた計測技術を導入した.


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図4 原子2体分布関数(PDF)の高速測定装置


 2体分布関数(PDF)とは,ある原子から周囲を見た時に,その原子を原点として距離rの位置に原子が存在する確率である.PDFは,2次元検出器からの全散乱データ(図4右写真,右下は散乱強度構造因子)をフーリエ変換して求める.PDFは実空間での原子配列の自己相関関数であり,高い空間分解能(0.23Å)で広い範囲(100Å程度)まで観察できる.通常のX線回折による結晶構造解析では周期的な構造を測定しており,不均質系や周期構造に乱れがある場合には平均化された情報しか得られない.これに対してPDF測定では,局所的な構造歪や短距離秩序など,平均構造からのずれを評価できる特徴がある.

 「実用材料研究では,ドーピングや置換を行って特性を制御することが多く,そうした不均質系や構造に乱れがある系に対するPDF測定の需要は,今後ますます高まるでしょう.通常の結晶解析だけでなく,さらに進んでPDF解析を当然のように行う時代になると思います.QSTでのPDF測定がその端緒となるようにしたい.」と綿貫氏は抱負を語った.


2.巨大負熱膨張材料における電荷ガラス状態の解明

 次にSPring-8でのナノテクノロジーPF設備を活用した,負の熱膨張材料に対する微細構造解析の研究成果について,研究を推進している東京工業大学の東氏にお話を伺った[7].

2.1 負熱膨張材料の研究目的と背景

 一般に物質は,温度を上げると膨張して長さが伸びる.これは温度上昇とともに,物質を構成している原子の熱振動が増大し,原子間の間隔が大きくなるからである.例えば,鉄の線膨張係数は12×10-6/℃であり,温度が1℃上がると10cmの鉄の棒は1.2µm伸びる.半導体LSIの製造ではnm精度が要求されるので,製造設備が熱膨張の影響を受けないように厳しく温度を管理している.半導体製造に限らず,光ファイバ通信や精密光学機器など熱膨張が起きないように温度制御して実使用されているものは多い.

 もし,負の熱膨張材料,すなわち温度が上がると長さが縮む材料が開発できれば,正の熱膨張材に組み合わせてコンポジット化することで,熱膨張係数を0にして温度管理しなくても済む.実際,台所で使うIHヒータのトップパネルには,特殊な低膨張ガラスが使われている.これには,βーユークリプタイト(LiAlSiO4)と呼ばれる負の熱膨張係数を持つ小さな結晶をガラスの中に析出させ,ガラスの熱膨張を相殺している.しかし,その製造には複雑な熱処理が必要であり,またガラスより大きな熱膨張係数を持つ樹脂や金属の熱膨張抑制には負熱膨張係数が小さすぎる.

 大きな負の熱膨張係数を示す材料として,マンガン窒化物の逆ペロブスカイト:Mn3ANが開発されている[8].これは,Mnスピンの反強磁性転移に伴う収縮によるもので,線熱膨張係数は,-25×10-6/℃とβーユークリプタイトの6倍ある.商品化されており,ポリアミドイミド樹脂にフィラーとして分散して,ゼロ熱膨張コンポジット材料を作ることもできる.

 東氏は,ペロブスカイト型の遷移金属酸化物の合成と構造解析および物性の研究に長年取り組んできた.そこで,さらに大きな負の熱膨張係数を持つ材料はないか,どうしたら新規な巨大負熱膨張材料を開発できるか,そのためには負熱膨張のメカニズムを解明しなければならない,と考えて巨大負熱膨張材料の開発と微細構造解析によるメカニズム解明に着手した.以下にペロブスカイト型金属酸化物:BiNiO3系の巨大な負熱膨張特性と,なぜ温度上昇で長さが縮むかのメカニズムを解明した研究成果,そして関連物質であるPbCrO3の電荷グラスと呼ばれる局所構造を解明した研究成果を紹介する.


2.2 BiNiO3系ぺロブスカイト型化合物の負熱膨張とそのメカニズム

 BiNiO3はペロブスカイト型の遷移金属酸化物で,6万気圧という人造ダイヤモンドを作るような超高圧下で合成される.図5左は,通常のX線回折測定から決定された結晶構造で,緑色の八面体は遷移金属のNiを中心にOが6ヶ周囲を囲んで八面体の頂点に位置し,さらにその周りをBiが立方体を形成するように配置した基本構造が周期的に並んでいる.X線回折測定から原子間の距離がわかるので,原子の価数を見積もると,NiはNi2+,BiはBi3+とBi5+とが半分ずつで,図5左に描いたように紫色の小球で示したサイトと,黄色の小球で示したサイトに各々分かれて柱状に秩序だって配列している.BiNiO3は,Bi3+0.5Bi5+0.5Ni2+O3という酸化状態の三斜晶相になっていて,絶縁体である.


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図5 ペロブスカイト型BiNiO3の結晶構造


 このBiNiO3を昇圧していくと,3.5GPaで絶縁体から金属への相転移が起こる.高圧相の結晶構造と電子状態は,図5右に示すようにNiはNi3+,BiはBi3+のみで斜方晶になっており,相転移に伴って体積が3%収縮した.Ni2+から電子が1つBi5+に移動してNi3+になり,Ni-O結合が強まってボンド間距離が縮むためと考えられる.BiNiO3を加熱していくと相転移を起こす圧力は下がってくるが,残念ながら常圧下では相転移を起こすことなく約500Kから酸素が離脱して分解してしまう.そこで,圧力誘起の相転移に伴う体積収縮を,常圧下で温度上昇に伴って起きるようにしたいと考えて,BiNiO3に別の元素を置換するアプローチを検討した.

 先ず,Biの一部をLaで置換してみた.これは,Laイオンが3価しか取り得ないので,Bi5+の一部がLa3+に置換されると他のBi5+もBi3+になり易いと期待したからである.実際にBiの5%をLaで置換したBi0.95La0.05NiO3を高圧合成し,常圧下で温度を上昇させていくと,低温三斜晶から高温斜方晶への相転移に伴って,-82×10-6/℃という巨大な負の熱膨張係数を得た[9].

 同様な効果は,Niの一部をFeで置換することでも得られた.Feイオンは3価になりやすいので,Ni2+の一部をFe3+で置換すると他のNi2+も昇温によって電子がBi5+に移動してNi3+になりやすいと期待した.実際にNiの15%をFeで置換したBiNi0.85Fe0.15O3を高圧合成し,常圧下で温度を上昇させていくと,295K~325Kの温度範囲で,-187×10-6/℃という巨大な負熱膨張係数を示した.また,この温度領域で低温三斜晶から高温斜方晶へ相転移し,Ni2+からBi5+に電子が移動するためにNi-O結合が縮むことで負の熱膨張を示すことも確認できた.

 図6は,上述した負の熱膨張材料であるBiNi0.85Fe0.15O3を,+80×10-6/℃の線熱膨張係数を持つビスフェノール型エポキシ樹脂にフィラーとして18vol%分散させ,ゼロ熱膨張コンポジットを試作した結果である[10].左側の写真は,作成した複合体試料である.右側の図は,横軸が温度,縦軸は200Kの長さに対する長さ変化で,赤色の細線はエポキシ樹脂,青色の細い曲線がBiNi0.85Fe0.15O3,赤色の太線が樹脂にBiNi0.85Fe0.15O3を18vol%分散させたコンポジット試料に対する測定データである.全温度範囲で樹脂の熱膨張が抑制されており,300~330Kの狭い温度範囲ではあるが,ゼロ熱膨張が実現している.


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図6 BiNi0.85Fe0.15O3/ビスフェノール型エポキシ樹脂コンポジットの熱膨張


 第3の置換アプローチとして,Biの一部をPbで置換したBi1-xPbxNiO3を合成した.Pbは,Biと同じく典型元素であり,6s軌道を電子が2ヶ占めているか/いないかで,Pb2+/Pb4+となり,鉛蓄電池の反応にも使われている.Biを一部Pbで置換したBi1-xPbxNiO3で,約550Kにて急峻な体積減少が起きて,負の熱膨張を確認したが,上述した2種のBiNiO3系化合物:Bi1-xLaxNiO3やBiNi1-xFexO3とは,その相転移メカニズムの様相が異なることが分かった.その究明に役立ったのが,SPring-8でのナノテクノロジーPF測定設備である[11].

 図7はBi0.75Pb0.25NiO3に対して,SPring-8で硬X線光電子分光(HAXPES)スペクトルをNIMSの支援で測定したもの(左側)と,原子2体分布関数(PDF)スペクトルをQSTの支援で測定したもの(右側)である.左側の図で上方の赤色の線がBi0.75Pb0.25NiO3のHAXPESスペクトルで,図中央の緑色のBiNiO3と同様にBi3+とBi5+があると確認された.


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図7 Bi0.75Pb0.25NiO3の硬X線光電子分光(HAXPES)スペクトル(左側の図,赤色の線)と
原子2体分布関数(PDF)スペクトル(右側の図,青色:測定データ,赤色:計算,緑色:差分)


 図7右側はBi0.75Pb0.25NiO3のPDFスペクトルで,青色の線が測定データ,赤色の線は計算値,緑色は測定データと計算値との差分である.PDFの計算値は三斜晶モデルで求めたもので,r<15Åでの実測データとの一致は良く,Bi3+とBi5+とが図5左側のような秩序だった配列を局所的にはしていることを示している.しかし,X線回折による結晶構造解析では三斜晶ではなく,低温相も高温相と同じ斜方晶であるとの結果であった.

 上記の一見すると矛盾した測定結果は,以下のように解釈することで理解できる[6][11].X線回折では結晶周期構造の平均的構造を反映した斜方晶と捉えているが,PDF測定では結晶格子の2倍程度の局所的な構造が三斜晶の秩序をもっていると捉えている.局所的にはBi3+とBi5+とが秩序だって配列しているが,置換したPbに阻害されて電荷の秩序はマクロ的には発達してない.マクロ的にはBi3+とBi5+の電荷配列はランダムな“電荷ガラス”状態になっていることが判明した.ガラス状態といっても結晶の原子配列は周期構造を保っていてアモルファス(非晶質)になっているわけではなく,電荷の配列秩序だけがミクロ的には保たれているがマクロ的にはランダムになっている.Bi0.75Pb0.25NiO3の場合にも,この局所的なBi3+とBi5+との秩序配列があるために,温度上昇でNi2+からBi5+への電荷移動によってBi3+だけになり,Ni3+-O間結合が収縮して負の熱膨張が起こると理解できる.またBi5+の一部がPb2+あるいはPb4+に置換されると他のBi5+もBi3+になり易いために,常圧下の温度上昇で体積収縮を伴う相転移を起こしていると理解できる.


2.3 巨大な負熱膨張を示すPbCrO3ペロブスカイト型酸化物

 ペロブスカイト型の遷移金属酸化物で,BiNiO3系よりも大きな負の熱膨張材料はないかと探索している中から,有力候補としてクロム酸鉛(PbCrO3)が浮かび上がった.PbCrO3は立方晶のペロブスカイト型構造を持ち,強誘電体として良く知られているPbTiO3からの類推で,Pb2+Cr4+O3の価数状態であると信じられていた.しかし,PbTiO3に比べて結晶格子体積が約2%大きいことや,Cr4+を含む化合物に期待される金属伝導性を示さず絶縁体であることが,長年の謎であった.また2010年に中国のグループから,2GPa以上の加圧で10%もの巨大な体積収縮が起こることが報告され,そのメカニズムの解明が望まれていた.

 前節で述べてきたように東氏はBiNiO3系ぺロブスカイト型化合物の負熱膨張とそのメカニズム解明に取り組んでいたので,PbCrO3の負熱膨張もBiNiO3系と同様なメカニズムではないかと直感した.すなわち,Pb2+0.5Pb4+0.5Cr3+O3からPb2+Cr4+O3への相転移が起こって体積が収縮している,と予想したわけである.Pb2+とPb4+とが局所的には秩序配列しているのではないか,と考えてSPring-8でのナノテクノロジーPFを利用して微細構造解析に取り組んだ[12].

 図8はPbCrO3に対する測定結果で,左側がNIMSの支援で得られた硬X線光電子分光(HAXPES)スペクトル,右側はQSTの支援で得られたPDFスペクトルである.HAXPESスペクトルから,Pb2+とPb4+とがほぼ同程度あることが確認された.また,PDFスペクトル解析では,いくつかのモデルを仮定して計算から求めたスペクトルと実測データとを比較検討した結果,図8右の赤線で示した3a×3a×3aモデルが実測(〇を連ねた黒線)と最も良いフィッティングであった(図下方の緑色の線が実測と計算の差分).このモデルは,結晶格子定数:aの3倍の3aの距離の中では,Pb2+とPb4+とが秩序配列していると仮定したモデルである.


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図8 PbCrO3の硬X線光電子分光(HAXPES)スペクトル(左)とPDFスペクトル(右)


 図9の左側は,PbCrO3の3a×3a×3a立方体内での原子配列構造を描いたもので,大きな黒丸はPb2+,大きな白丸はPb4+,小さな赤丸はCr3+,である(Oは省略している).3a×3a×3aの立方体内では,Pb2+とPb4+は縦波型のサイン波を作るように原子変位した短距離秩序で配列している.図9左側に描かれているのは3a×3a×3aの立方体だけであるが,その隣の3a×3a×3aの立方体に移ると電荷配列の秩序性は3a×3a×3aの立方体内部にはあるものの,隣接する3a×3a×3a立方体間の電荷配列秩序は失われて長距離的には“電荷ガラス”状態になっていると考えられる.図9右側はPbCrO3の電子顕微鏡像で,白い点状に見えるのがPb原子である.白点を赤い細線で結ぶと,Pb原子が歪んだ格子を作っていることがわかり,左側のモデル図でのPb原子配置の歪みに対応している.


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図9 PbCrO3の電荷ガラス構造(左)と電子顕微鏡観察像(右)


 図10は,PbCrO3を加圧して行くにしたがって格子定数(上)と電気抵抗(下)がどう変化するかを測定した結果である.2.5GPa付近で,10%もの大きな体積収縮が観測された.これは加圧によって,Pb2+0.5Pb4+0.5Cr3+O3からPb2+Cr4+O3への相転移が立方晶構造を保ったまま起こり,Cr3+の電子が一つPb4+に移動してCr4+になり,Cr-O結合が強まってボンド間距離が縮むためと考えられる.こうした圧力誘起の体積収縮のメカニズムは,BiNiO3と同様だが,体積収縮率はBiNiO3の3%より3倍以上大きい.また,図10下の電気抵抗変化の測定結果から,体積収縮に対応して絶縁体から金属への相転移が起こり,この相転移には昇圧と降圧で履歴がある1次相転移であることもわかった.この結果も,BiNiO3と同じ振る舞いである.


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図10 PbCrO3の格子定数(上)と電気抵抗(下)の圧力変化


 BiNiO3系化合物としてBiの一部をLaで置換したBi0.95La0.05NiO3や,Niの一部をFeで置換したBiNi0.85Fe0.15O3が,常圧下での昇温で体積が収縮する負の熱膨張材料であることを前節で紹介した.PbCrO3の圧力誘起体積収縮はBiNiO3よりも3倍も大きいので,同様の元素置換を行えばBiNiO3系化合物を凌ぐ巨大な負熱膨張を示す材料を開発できると期待される.


2.4 今後の課題と応用展開

 東氏は今後の研究課題として,以下のように考えていると語った.現状では,合成に高圧が必要なことに加え,1次転移に起因する温度履歴が問題である.1次相転移ではなく,履歴現象が生じない2次相転移に変化させる方向が,実用化のためには必要かと考えている.そのために,BiやPbと同じ典型元素で価数の自由度があるアンチモン(Sb)を含む化合物が有望ではないかと実験を進めている.また,負の熱膨張を示す温度範囲を広げることと,負の熱膨張率を上げることとは,相反するトレードオフの関係になる.BiNiO3の体積変化が約3%であるのに対し,PbCrO3では9.8%にも達するので,こちらに元素置換することで,圧力下での巨大な体積収縮を常圧下での昇温で起こるようにして,巨大負熱膨張材料を開発したい.

 2.2節で,BiNi0.85Fe0.15O3をフィラーとして樹脂に分散させ,ゼロ熱膨張コンポジットを試作したことを紹介したが,フィラーの巨大な負熱膨張が完全には活かされていない.電顕観察してみると,フィラーと樹脂の界面で剥離が起きており,剥離が起きないように界面の接合状態を改善することが課題である.

 負の熱膨張材の応用分野としては,半導体LSIの製造装置や,波長多重光ファイバ通信での波長選択フィルタ(ファイバ回折格子)等が考えられる.航空機分野では機体ボディにCFRP(Carbon Fiber Reinforced Plastics,炭素繊維強化プラスチック)が使われているが,CFRPを熱成形するための巨大な金型の熱膨張が課題になっている.現状はインバー金型が使われているが,加工が難しく高価であるので,加工性の良いゼロ熱膨張の金型が待望されていて,そうした分野にも応用できると期待している.


3.おわりに

 SPring-8は1997年の供用開始から2017年で20周年を迎え,取材訪問した日には20周年記念行事が開催されていた.ナノテクノロジープラットフォーム事業としては,その前身のナノ・ネット事業も含めて2007年から,SPring-8での放射光を利用した計測・解析装置を,産学官の多様な研究者に共同利用してもらうことを推進してきた.毎年,数多くの研究成果がSPring-8でのナノテクノロジーPFから生まれている.

 今回,負の熱膨張材料に対して,材料を構成する原子の価数や局所的な電子配列の解析など,SPring-8での放射光利用測定ならではの微細構造解析で,負熱膨張のメカニズムを解明し,新規な巨大負熱膨張材を開発した研究成果をお聞きした.新材料の実用化に向けては未だ多くの課題が待ち受けており,今後もSPring-8を利用した研究の進展が楽しみである.


参考文献

[1] SPring-8 大型放射光施設 HP;http://www.spring8.or.jp/ja/
[2] ナノテクノロジープラットフォーム共用設備利用案内サイト,物質・材料研究機構,NIMS微細構造解析プラットフォーム最先端ナノマテリアル計測共用拠点,放射光計測装置;
http://nanonet.mext.go.jp/yp/facility/A/8/?parent_id=189
[3] NIMS微細構造解析プラットフォーム装置利用料金表;
http://www.nims.go.jp/nmcp/content/files/fee_20171101.pdf
[4] 量子科学技術研究開発機構(QST)HP;http://www.qst.go.jp/
[5] ナノテクノロジープラットフォーム共用設備利用案内サイト,量子科学技術研究開発機構,QST量子ビーム科学研究部門 関西光科学研究所 放射光化学研究センター,放射光計測装置;
http://nanonet.mext.go.jp/yp/insti/QS.html
[6] 綿貫徹,町田晃彦,"放射光を用いた高速原子2体分布関数(PDF)測定と負の熱膨張材料研究への応用",QST Annual Report 2016, pp.31-32;
http://www.kansai.qst.go.jp/publications/Annual_Report_2016.pdf
[7] SPring-8 研究成果をやさしく解説「温めると縮む"負の熱膨張材料"をつくる」;
http://www.spring8.or.jp/ja/news_publications/research_highlights/no_84/
[8] K.Takenaka and H.Takagi, "Giant negative thermal expansion in Ge-doped anti-perovskite manganese nitrides", Appl.Phys.Lett., Vol.87, p.261902 (2005)
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[10] K. Nabetani, Y. Muramatsu, K. Oka, K. Nakano, H. Hojo, M. Mizumaki, A. Agui, Y. Higo, N. Hayashi, M. Takano, and M. Azuma, "Suppression of temperature hysteresis in negative thermal expansion compound BiNi1-xFexO3 and zero-thermal expansion composite", Appl. Phys. Lett. 106, 061912 (2015)
[11] Kiho Nakano, Kengo Oka, Tetsu Watanuki, Masaichiro Mizumaki, Akihiko Machida, Akane Agui, Hyunjeong Kim,Jun Komiyama, Takashi Mizokawa, Takumi Nishikubo, Yuichiro Hattori, Shigenori Ueda,Yuki Sakai,and Masaki Azuma, "Glassy Distribution of Bi3+/Bi5+ in Bi1-xPbxNiO3 and Negative Thermal Expansion Induced by Intermetallic Charge Transfer", Chem. Mater. 28, pp.6062-6067 (2016)
[12] Runze Yu, Hajime Hojo, Tetsu Watanuki, Masaichiro Mizumaki, Takashi Mizokawa, Kengo Oka, Hyunjeong Kim, Akihiko Machida, Kouji Sakaki, Yumiko Nakamura, Akane Agui, Daisuke Mori, Yoshiyuki Inaguma, Martin Schlipf, Konstantin Z. Rushchanskii, Marjana Ležaić, Masaaki Matsuda, Jie Ma, Stuart Calder, Masahiko Isobe, Yuichi Ikuhara, and Masaki Azuma, "Melting of Pb Charge Glass and Simultaneous Pb-Cr Charge Transfer in PbCrO3 as the Origin of Volume Collapse", J. Am. Chem. Soc., 137 (39), pp. 12719-12728 (2015)

本文中の図1・2はNIMS坂田氏,図3・4はQST綿貫氏,図5~10は東京工業大学東氏より提供されたものである.

(尾島 正啓)


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