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企画特集 10-9 INNOVATIONの最先端 ~Life & Green Nanotechnologyが培う新技術~
<第60回>
高性能ハードフェライト磁石「ε型ナノ酸化鉄」の研究開発
~産学連携でIoT社会を支える技術の一角へ~

東京大学 大越 慎一氏ら,DOWAエレクトロニクス株式会社 吉田 貴行氏ら,岩谷産業株式会社 上田 直将氏らに聞く

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 ナノテクノロジー技術の公開・普及・発展を図るべく,2002年から毎年開催されている国際ナノテクノロジー総合展・技術会議は,2017年第16回(nano tech 2017)において,優れた展示を表彰するnano tech大賞の,産学連携賞に「東大大越研/DOWAエレクトロニクス/岩谷産業(小間番号:4G-24)」を選んだ.授賞理由は,「高性能ハードフェライト磁石「ε型ナノ酸化鉄」の基礎研究から市場展開までを確立した.IoT社会の実現につながる本格的な産学連携の取り組みを賞す.」であった.大学が産学連携賞の受賞者に入ることは多くない.ユニークな技術や産学連携の状況を伺うべく,東京大学本郷キャンパスの大越研究室を訪ねた.お話を伺った方々は,東京大学 大学院理学系研究科化学専攻 教授 大越 慎一(おおこし しんいち)氏,修士1年 大森 泰彦(おおもり やすひこ)氏,修士1年 絹川 里奈(きぬがわ りな)氏,DOWAエレクトロニクス株式会社 機能材料研究所 磁性材料開発統括 吉田 貴行(よしだ たかゆき)氏,同 機能材料事業部 課長 矢野 拓哉(やの たくや)氏,高野 兼匡(たかの かずまさ)氏,岩谷産業株式会社 マテリアル本部 新事業開発部 部長 上田 直将(うえだ なおまさ)氏,主任 渋谷 享洋(しぶや ゆきひろ)氏,山崎 すみれ(やまざき すみれ)氏である.


1.産学連携でIoTのニーズに応えるε型ナノ酸化鉄

1.1 IoTの求めるデバイス・材料

 2016年に始まる第5期科学技術基本計画は,“新しい価値やサービスが次々と創出される「超スマート社会」を世界に先駆けて実現するための一連の取組を更に深化させつつ「Society 5.0」として強力に推進する”とした.モノのインターネット,IoT(Internet of Things)のシステム構築はその重要課題である[1].

 そこでは,ものや人の状況をセンシング,伝達し,データを蓄積,AIで処理して,ものや人へのサービス内容が返信され,アクチュエータが実行する.蓄積されるデータはビッグデータとして急増するが,蓄積・記録されるものの多くは利用が稀なコールドデータである.このような大量のデータ蓄積には,磁気テープの活用が期待され,磁気テープ記録装置の大容量化と,そのための面記録密度の高い磁気記録材料の探索が進められている.

 一方,伝送するデータも急増し,通信周波数帯域の拡大が求められ,新しい通信システムにはミリメートル波(ミリ波)が割り当てられるようになる.ミリ波は波長が1~10mm,周波数が30~300GHzの電磁波である.WiFiの次の世代の無線通信WiGigは60GHz[2],車載レーダーは76~81GHz,基地局間無線通信に140GHz,バイタルデータセンシングに60,79,140GHz帯などのミリ波が用いられる.ミリ波のセンシングデバイスには高感度が求められ,データの伝送はノイズなどの妨害による誤りの少ないことが求められる.入出力間の干渉を抑制して高感度化を助け,傍受・ハッキングの防止などセキュリティ確保のため,ミリ波吸収体が必要になる.しかし,100GHz以上の磁性吸収材は存在しなかった.


1.2 ε型ナノ酸化鉄は世界最小のハードフェライトでミリ波吸収体

 「ε型ナノ酸化鉄」(ナノ酸化鉄,ε-Fe2O3)は2004年に大越氏らが見つけた世界最小のハードフェライトである[3].“ナノ酸化鉄ε-Fe2O3”は,ナノメートルオーダーの粒径でのみ存在する磁性体で,実際に10nm以下まで微小化できる(図1).Fe2O3にはバルク状態で安定な立方晶のγ-型と菱面体晶のα-型が知られているが,大越氏らは,特定のナノサイズ領域で斜方晶系のε-型の球状ナノ粒子が安定相として得られることを見出した.粒径8nmの微小ε-Fe2O3粒子は単一ドメイン(磁区)の磁石であり,5.2kOeの保磁力を示す.磁気記録材料には3kOe程度の保磁力のあることが求められるが,ε-Fe2O3はこれを満たし,微細なため磁気テープの記録密度増が期待できる.


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図1 世界最小サイズのハードフェライト磁石ε-Fe2O3[Adapted with permission from Scientific Reports, 5, 14414 (2015). © 2015, Springer Nature]


 ε-Fe2O3が独創的で,唯一無二である点は100GHz以上の電磁波を吸収することである.純粋なε-Fe2O3は182GHzのミリ波を吸収する.また,3価のFeイオンを他の3価の金属イオン(Al,Ga,Rh)で置き換えると様々な周波数のミリ波を吸収できる(図2).種々の金属置換を試み,磁性体で最高の電磁波吸収周波数30~220GHzをカバーできるようになった[4].


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図2 ε-Fe2O3と金属置換体(ε-MxFe2-xO3)のミリ波吸収.[Adapted with permission from Angew. Chem. Int. Ed., 46, 8392 © 2007 WILEY‐VCH Verlag GmbH & Co. KGaA, Weinheim, J. Am. Chem. Soc., 131, 1170 (2009) © 2009, American Chemical Society, Nature Communications, 3, 1035 (2012) © 2012, Springer Nature]


 まさに,ε-Fe2O3は,IoTが必要とするミリ波吸収体なのである.英国ロンドン国立科学博物館が企画した,IoT社会におけるビッグデータとセキュリティに関する特別展示においても,Google,Facebook,Twitter,University of Cambridgeと並んで東大大越研が出展団体の一つとなった.ジェームズワットの蒸気機関,ベルの電話などが展示され,年間数百万人が世界中から訪れる観光名所に,ε-Fe2O3が2016年から展示された.


1.3 ε-Fe2O3の開発・応用展開に向けた産学連携

 nano tech 2017に共同出展したDOWAエレクトロニクスは電子材料の素材メーカーとして,磁性材料粉を製造し,磁気テープメーカーに納入してきた.大越研究室とは2004年から共同研究を進めており,その成果は,最近の新聞発表などで示されている[5].前記のロンドン博物館の展示は,東大とDOWAの共同展示となっている.

 岩谷産業は鉱物原料の輸入等を手がけ,これまでに無い価値・機能を世の中へ提供しようと,新素材への展開を目指してきた.2015年から岩谷産業もε-Fe2O3の開発メンバーとなった.商社として出発した岩谷産業は,マーケティングの経験も豊かである.

 東大が基礎研究から開発,ナノ材料開発・製造技術を有するDOWAエレクトロニクスがナノ酸化鉄の量産化を,新素材分野への展開を図る岩谷産業がマーケティングおよび販売を受け持つことで,基礎開発から市場展開への体制が整い,nano tech 2017に出展[6],大賞の受賞となった.nano tech 2017では,興味を持った展示会来会者から,100件近い問い合わせがあった.問い合わせに対し,岩谷産業がニーズの聴取・対応を進めている.


2.産学連携参画企業の先端機能材料への取り組み

2.1 ナノ材料開発・製造のDOWAエレクトロニクス [7]

 DOWAエレクトロニクスの歴史は,1884年に藤田組が明治政府から小坂鉱山の払い下げを受けたところまで遡る.小坂製錬では黒鉱という複雑硫化鉱の製錬法を開発し,金,銀,銅などを産出した.それは現在につながるDOWA独自の技術力の礎となった.1945年に商号を同和鉱業とし,電子材料事業としては岡山県柵原鉱山で採掘された硫化鉱に着目した鉄粉製造を1965年より手がけ,1983年には磁気記録材料の生産を開始した.2006年に同和鉱業は事業会社を保有する持株会社であるDOWAホールディングスに商号を変更し,その事業会社の一つとしてDOWAエレクトロニクスが設立された.

 現在のDOWAホールディングスは,環境・リサイクル,製錬,電子材料,金属加工,熱処理,の5事業を柱としている.DOWAエレクトロニクスは電子材料を受け持ち,半導体材料事業(高純度金属材料,化合物半導体ウェハ,LEDなど),電子材料事業(銀粉・銅粉などの導電材料など),機能材料事業(メタル粉・キャリア粉・フェライト粉・鉄粉など)の3事業を展開している.機能材料事業ではさらに燃料電池材料や磁性材料を応用した製品の開発に取り組み,積極的に新規分野開拓を図っている.なかでもε-Fe2O3は,磁気テープ次世代材料の候補でもあり,積極的な開発対象となっている.


2.2 ガス&エネルギーを軸にマテリアル等の新技術開発に取り組む岩谷産業 [8]

 岩谷産業の企業理念は,「世の中に必要な人間となれ,世の中に必要なものこそ栄える」という創業者岩谷直治の事業哲学である.岩谷氏は,1930年に酸素・溶接棒・カーバイドの販売を業とする岩谷直治商店を創業した.1945年に岩谷産業を設立し,1953年の「マルヰプロパン」家庭用販売は同社の名を世に広めた.また同社は“水素の岩谷”として,国産ロケットH-I型への水素供給,水素ステーションの整備など水素エネルギー社会に向けた取組を強化している.“ガス&エネルギー”を事業の軸に据える同社だが,以下の表の通り4つの事業を展開している.


表1 岩谷産業の事業分野
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 本件を受け持つマテリアル事業では,樹脂・資源鉱物・金属・エレクトロニクスを柱とし,顧客ニーズに注意深く,真摯に耳を傾けて,課題を発見しその解決策を提案するという“現場主義”を実践する商社として事業を展開してきた.近年では,これまでに無い価値・機能を世の中へ提供する,という観点から,産学連携のもと,未来に繋がる新技術や素材を中心に開発を加速させている.εナノ酸化鉄は,必ず次世代型社会に不可欠な素材であると確信し,岩谷産業全社を挙げて市場展開を図るという.


3.ε型ナノ酸化鉄の創製からミリ波センシング用ノイズ対策部材開発へ

3.1 ε型ナノ酸化鉄の創製~粒径のナノサイズコントロールで単離

 εナノ酸化鉄はフェライト磁性材料Fe2O3の一形態(相)である.Fe2O3には常温常圧で存在する結晶構造の異なる4形態がある.菱面体晶のα相はヘマタイト(赤鉄鉱)として自然に存在する.立方晶のγ相は磁赤鉄鉱として自然に存在するが,高温でα相に変態する.面心立方晶のβ相および斜方晶のε相は,自然界では存在せず,人工的にのみ得られる相であり,α相やγ相などとの混在状態でしかその存在が確認されていなかった.

 しかし,大越氏らは2004年にε相の単相合成に初めて成功した[3].当時,酸化物や金属錯体の磁性材料を合成し,その物性を調べていた大越氏らは,保磁力の大きい磁性材料を作ろうと,逆ミセル法とゾルゲル法を組み合わせた合成でFe2O3ナノ粒子を作り,ε相が単相で得られることを見出した.具体的な製法は,粒直径7nmのサイズの逆ミセルを反応場として,水酸化鉄ナノ微粒子を形成させたのちガラス(SiO2)で被覆し,これを分離・洗浄・乾燥後に900~1250℃の大気中で焼くというものである.SiO2に分散するような形でFe2O3ナノ粒子ができているので,NaOH水溶液でSiO2を除き,Fe2O3ナノ粒子を取り出す.この焼成条件などによってε-Fe2O3ナノ粒子の大きさが変わる.得られたε-Fe2O3ナノ粒子で25kOeの保磁力を観測した.図3はε-Fe2O3の結晶構造と磁化曲線で,赤い多面体中央の球がFe,角の小さい丸がOを表している.


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図3 ε-Fe2O3の結晶構造と磁化曲線. [Adapted with permission from Scientific Reports, 6, 27212 (2016). © 2016 , Springer Nature]


 その後,大越氏らは様々な製法を開発し,現在は4種の製法があるという.その一つは,次のようなものである.粒径が数十nmの水酸基(OH)を含む酸化水酸化鉄Fe10O14(OH)2ナノ微粒子をSiO2で包摂した前駆体を様々な温度で焼結して,Fe2O3ナノ微粒子がSiO2に埋め込まれた状態を作る.焼結温度の上昇に伴い粒子同士が凝集して粒成長するため,焼結温度により粒径を変えることができる.この焼結体をNaOH水溶液で化学エッチングしてSiO2を除くことによりFe2O3ナノ粒子が得られる.粒径は,焼成温度1200℃で40nm,1100℃で19nmなどとなった.

 このような方法でε-Fe2O3が得られ,その粒径は5~40nmで単相合成が可能である.ε-Fe2O3を単相で取り出すヒントは粒径の制御にあった.物質はその系の持つエネルギーが最低の状態で安定に存在する.等温等圧の条件での系のエネルギーであるGibbsの自由エネルギーを,Fe2O3の各相,α,γ,ε-相について,粒径依存性を計算した(図4).この結果から,ε-相は中間的なサイズ領域で最も自由エネルギーが低く,この粒径サイズの時に安定に存在することがわかった[4].


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図4 ε-Fe2O3の自由エネルギーの粒子サイズ依存性とその他の相との比較. [Adapted with permission from J. Appl. Phys., 97, 10K31 (2005) © 2005 AIP Publishing LLC]


3.2 ε型ナノ酸化鉄の物性~強磁性と強誘電性を持つマルチフェロイック材料

 ε型ナノ酸化鉄は強磁性体である.その特性の一つの指標である保磁力は粒径によって変化する(図5).ε型ナノ酸化鉄は大きな磁気異方性を持つため,粒子サイズを小さくしていっても熱ゆらぎの影響を受けにくく,10nmを切るようなシングルナノサイズ領域まで粒径を小さくしていっても,強磁性的秩序を失わず保磁力は失われない.ε型ナノ酸化鉄は,ハードフェライト材料の中で最も小さい粒径で強磁性を発現する最小ハードフェライト磁石であるということができる[9].


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図5 ε-Fe2O3における保磁力の粒径依存性. [Adapted with permission from Scientific Reports, 5, 14414 (2015). © 2015, Springer Nature]


 東大ではε-Fe2O3の基礎研究を進め,理論計算でバンド構造などの電子状態や磁気構造の解明ができるようになり,バンド計算をすると,エネルギーギャップは2.48eVと,フェライトでは最大である.このため,吸収スペクトルを計算すると,光子エネルギー2eV以下(波長600nm以上)では吸収がないので,最も色の薄い磁性材料であることも分かった.現在ではフォノンモードの計算もでき,熱力学パラメータが得られるので,諸特性の予測が可能になっている[10].

 ε-Fe2O3はFeの一部を他の金属に置換することができ,金属置換によって保磁力を高めることも可能である.Feの一部をRhで置換したε-Rh0.14Fe1.86O3では,ネオジム磁石の25kOeを超える31kOeの保磁力を実現し,より結晶学的に高度に配向することによって,室温(27℃)で35kOe,-73℃の低温でも45kOeに達する,ハードフェライト材料として世界最高の保磁力を実現した[11].

 ε酸化鉄の独創的で唯一無二の特徴が高周波ミリ波を吸収することであることは,1.2に記した.ε-Fe2O3は182GHzを中心とする吸収ピークを示し,金属置換を行うことにより吸収周波数を変えられるようになった.Feの一部をGaで置換したε-GaxFe2-xO3;0.10 < x < 0.67では,Ga置換量に応じて30GHzから150GHzまでの高い周波数領域でミリ波を有効かつ周波数選択的に吸収する[12].さらに,Feの一部をRhで置換すると吸収周波数が上がる.ε-RhxFe2-xO3において,xを0から0.19まで変えると吸収のピーク周波数は,182GHzから222GHzまで伸びる[4].この結果,図2に示すように30GHzから222GHzまでのミリ波を吸収できるようになった.

 さらに,ε酸化鉄ミリ波吸収体の磁化はミリ波によってコマのすりこぎ運動を起こすので,透過するミリ波の偏光面が回転する.すなわち,ミリ波領域の直線偏光を円偏光に変換できる.ミリ波アイソレータが作れることになる.

 ε酸化鉄は,対称性が破れた結晶構造を持つため,電気分極と磁気分極の双方の性質を持ち,図6のように,強磁性に加えて強誘電性も併せ持つ世界最小のマルチフェロイックフェライトであることも明らかになっている[13].


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図6 ε-Fe2O3は強誘電性・強磁性を持つ世界最小マルチフェロイックフェライト. [Adapted with permission from Scientific Reports, 5, 14414 (2015). © 2015, Springer Nature]


3.3 極小強磁性ε型ナノ酸化鉄の応用展開

 ε型ナノ酸化鉄でまず考えられる用途は磁気テープである.これに向けて,金属置換などにより,ε型ナノ酸化鉄をさらに進化させる.最近では,金属置換により磁気記録に適した3kOeの保磁力を保ちながら,磁化をε-Fe2O3と比較して44%向上させたε型ナノ酸化鉄磁性粉を化学合成し,低ノイズでシャープな記録再生信号の得られる磁気テープを開発した.ε-Fe2O3の鉄イオンを三種類の金属イオンで置換し,
ε-Ga0.31Ti0.05Co0.05Fe1.59O3(GTC型イプシロン酸化鉄)を開発し,ナノ磁性粒子の中規模生産(5kg)を行い,磁気テープを試作した(図7).成果を公開する原著論文の共著者には,DOWAエレクトロニクスの技術者が含まれている[5].


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図7 GTC型イプシロン酸化鉄の結晶構造と量産した磁性粉,磁気テープの再生信号. [Adapted with permission from Angew. Chem. Int. Ed., 55, 11403 (2016) © 2016 WILEY‐VCH Verlag GmbH & Co. KGaA, Weinheim]


 ε型ナノ酸化鉄は計測器にも使われる可能性がある.単磁区ハードフェライト単結晶の育成に成功し,世界初の単磁区ハードフェライト棒磁石ができた.一つの単結晶から成る,ロッド状の極小棒磁石である.これを原子間力顕微鏡の探針に取り付けると磁気力顕微鏡プローブとなる(図8).ε-Fe2O3磁気力顕微鏡プローブを用いて,市販のコバルト磁性層からなるハードディスクの磁気記録ビットを観察した結果,ビットパターンの観測に成功した[13].


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図8 ε-Fe2O3単磁区ハードフェライト棒磁石を用いたHDDの磁気記録ビット観察. [Adapted with permission from Scientific Reports, 6, 27212 (2016). © 2016, Springer Nature]


3.4 ミリ波センシング用ノイズ対策部材開発

 100GHz領域のミリ波の使用が本格化するのに,80GHz以上のミリ波を周波数選択的に吸収する材料はほとんどなく,この帯域での電磁波干渉の危険性が危惧されている.εナノ酸化鉄は30~220GHzのミリ波を吸収し,電磁波干渉抑制材料として,車,電車,飛行機の胴体への塗布,ミリ波スマートセンサにおける送受信アンテナの干渉抑止などへの応用が期待される.

 この期待に応える開発の戦略としては,製品としてミリ波センシング用ノイズ対策の部材を提供するのに合わせて,ニーズにジャストフィットしたミリ波センシング用ノイズ対策の部材の選定・設計のサービス提供を図る.解決すべき課題は,どのような性能のノイズ対策部材をどこに,どのような配置で,どのくらいの厚みで設置すればよいかである.この解決策としては,まず,金属置換によって様々な共鳴周波数(吸収周波数)の金属置換型ε-Fe2O3が開発できるので,使用周波数に合わせて磁性粉の材料を選ぶ(図9).


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図9 種々の金属置換型ε-Fe2O3の共鳴周波数


 そして,この磁性粉を樹脂や溶剤に混ぜて,シートやインクなどの塗布液・吸収体を作る.電磁波の吸収には入射端でのインピーダンス整合が必要になるから,共鳴周波数,素材など基板の条件,吸収体の厚み制限,電磁波の入射角度など考慮し,インピーダンス整合計算を行って,厚み,配合率などの吸収体設計を行う.既に,インピーダン整合計算のソフトウェアも開発済みである.吸収体の使用環境は,塗布対象の基板材質,線状か平面かの構造,3次元的な空間配置など様々であり,使用環境によってミリ波吸収体周辺の電磁界は変化する.このため,電磁界解析を行ってデバイス装着品を作ることになるので,電磁界解析のソフトウェアも開発した.図10の解析例では,左図に金属基板上のミリ波吸収体のインピーダンス整合計算結果,右図に電磁界解析による電磁波吸収効果のシミュレーションを示している.


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図10 使用環境を考慮したミリ波吸収体の設計


 以上の技術的展開を応用することで,IoT社会を支えるミリ波センシング用ノイズ対策部材の開発の全貌を図11のように捉えて推進している.すなわち,ε酸化鉄の設計・開発は東大が行い,磁性粉はDOWAが供給し,インピーダンス整合計算まで行う.ミリ波ノイズ対策部材は,シート,フィルム,ブロック,タイル,インクの形で岩谷産業が商社として提供する.これには3次元空間電磁界解析のサービスまで提供する.岩谷産業はユーザーとの接触からニーズを拾い,これに応える開発・製品化により技術や応用分野を展開・拡大することができる.


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図11 IoT社会を支えるミリ波センシング部材の開発


おわりに

 ε型ナノ酸化鉄は,粒子サイズをナノメートルに制御することで得られる,ナノテクノロジー牽引型の材料である.微小粒子で高い保磁力を持ち,強磁性・強誘電のマルチフェロイック材料としてユニークな機能性を示す.次世代磁気テープへの適用に加えて,他の材料では実現困難なミリ波センシング用ノイズ対策の部材への応用が期待される.この部材開発にあたっては,基礎研究,磁性粉開発にとどまらず,部材応用に必要な電磁界シミュレーションなどの利用技術の開発も行われ,基礎研究から応用に必要な手段まで提供することができる.開発・量産化,マーケティングと販売,顧客ニーズの研究開発へのフィードバックのループもできている.見事な産学連携体制であり,ユーザーフレンドリーを目指す開発戦略のもとε型ナノ酸化鉄のさらなる発展が期待される.


参考文献

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http://nanonet.mext.go.jp/ntjb_pdf/v10n2_JAPANNANO2017.pdf
[2] WiGig (IEEE802.11ad)
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Asuka Namai, Marie Yoshikiyo, Kana Yamada, Shunsuke Sakurai, Takashi Goto, Takayuki Yoshida, Tatsuro Miyazaki, Makoto Nakajima, Tohru Suemoto, Hiroko Tokoro & Shin-ichi Ohkoshi, "Hard magnetic ferrite with a gigantic coercivity and high frequency millimetre wave rotation", Nature Communications Vol. 3, Article number: 1035 (2012), doi: 10.1038/ncomms2038;
[5] 「イプシロン型-酸化鉄を磁性層とした磁気テープの開発に成功~低ノイズ・シャープな記録再生信号を観測~」東京大学理学部プレスリリース2016.8.24
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Shin-ichi Ohkoshi, Asuka Namai, Marie Yoshikiyo, Kenta Imoto, Kazunori Tamazaki, Koji Matsuno, Osamu Inoue, Tsutomu Ide, Kenji Masada, Masahiro Goto, Takashi Goto, Takayuki Yoshida, and Tatsuro Miyazaki, "Multimetal-Substituted Epsilon-Iron Oxide ε-Ga0.31Ti0.05Co0.05Fe1.59O3 for Next Generation Magnetic Recording Tape in the Big Data Era", Angewandte Chemie International Edition, Vol. 55, No. 38, pp. 11403-11406 (2016).
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[7] DOWAホールディングス, http://www.dowa.co.jp
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図は全て大越氏から提供された.


(古寺 博)


「10-9 INNOVATIONの最先端」 企画特集は, NanotechJapan Bulletin と nano tech のコラボレーション企画です. nanotech2018_banner.jpg