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企画特集 10-9 INNOVATIONの最先端 ~Life & Green Nanotechnologyが培う新技術~
<第52回>
3D電子顕微鏡による医学生物研究
~分子から組織,ナノからミクロまでの切れ目ない統合解析~

英国 MRC Toxicology Unit 研究室長 諸根 信弘氏に聞く

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 電子顕微鏡は原子レベルの分解能を持つ観察ツールであり,ナノテクノロジー分野では材料開発から医療・バイオ研究まで幅広く活用されている.

 今回は,英国MRC(Medical Research Council,医学研究会議)において最先端電子顕微鏡を用いて生物研究を進めている,MRC Toxicological Unit, Head of the Electron Microscopy & Ultrastructural Pathology Group 諸根信弘(もろね のぶひろ)氏に,電子顕微鏡を駆使した医学生物研究の最前線について伺った.諸根氏は,2015年に英国へ渡り,上記グループ(Ultrastructural Pathology:超微構造病理学)のHead(室長)として活躍されている.近年急速に進展している電子顕微鏡による高分解能3次元構造解析技術を用いて,薬が人体へ及ぼす影響を生体分子・組織レベルの構造変化として把握・理解しようと研究している.日本でのセミナー講演で帰国した機会に,英国での研究活動状況をお聞きした.先ず,MRCとはどんな組織で,どんな経緯で諸根氏がMRCで研究するようになったのか,から伺った.


1.英国MRCで諸根氏が研究を始めるまでの経緯

1.1 英国MRCの概要

 MRCは,Councilが「会議」と訳されているが,医学の基礎研究から臨床試験にわたる研究実施機関であるとともに,英国政府の予算を受けて研究費を配分しているファンディング機関でもある[1].英国には,こうした研究会議が7つあり,その中でもMRCは1913年に設立された最も歴史の古い研究会議である.100年を超える歴史的研究成果の中には,ワトソンとクリックによるDNA二重螺旋構造の発見をはじめ,21件のノーベル賞で,31人の受賞者を輩出している.米国のNIH(National Institutes of Health,アメリカ国立衛生研究所)と並び,医学生物学分野での世界的研究拠点の一つと言えよう.我が国では,AMED(Japan Agency for Medical Research and Development,日本医療研究開発機構)が2017年2月に欧州オフィスをLondonに開設し,MRCと日英協力を促進すると発表している[2].

 MRCの研究領域は,医学生物系の殆どをカバーしており,規模としてはかなり大きい.英国政府のDepartment of Health(保健省)と強くリンクしており,運営費は100%国費で賄われている.年間の総予算は,928M£(約1800億円,200円/£で換算)で,半分はMRC所属の研究所に配分され,残り半分は大学などへの研究助成,本部運営費や奨学金などに充てられている[3].本部はLondon中心部にあるが,研究拠点は図1に示すように英国全土に散在している.研究所群は,3つのInstitute,28のUnit,22のCentreから構成されている.Cambridge,Oxford, Londonに多く,大学キャンパスの中にある場合もあれば,大学とは関係なく独立した研究所の場合もある.

 「MRCには現役で活躍しているノーベル賞受賞者がいらっしゃるので,共同研究している相手側に,ノーベル賞受賞者がでてきて議論する場合もある.面白い研究,興味深い研究が,自分の周りの近い所にあると実感する.」と諸根氏は語った.


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図1 英国MRCの研究拠点 [3]


1.2 MRC Toxicology Unitでの諸根氏の役割

 諸根氏が所属するMRC Toxicology Unit[4]は,レスター大学(University of Leicester)の敷地の中にある.Leicester大学は,世界ランキングで日本の主立った大学より上にランクされている.LeicesterはLondonの北北西約150kmに位置し,Londonから特急電車で1時間の距離である(図1左の上から3番目).古代ローマ時代に建てられたイングランドでも歴史のある都市で,2016年にプレミアリーグ初制覇を果たしたサッカーチームの本拠地として,岡崎選手が加入していることもあって日本のニュースに多く取り上げられた.

 Toxicologyは日本語では“毒物学”と訳されているが,そういうイメージではない.基本的には薬剤を開発するための学問であり,毒とは逆の薬のための研究である.MRC-TUには約100人,10の研究室がある.イギリス人だけでなく,世界中から研究者を採用している.女性の割合も多い.レスター大学からの学生やポスドク研究員も受け入れており,MRCの電子顕微鏡を使った共同研究も多い.なお,MRC-TUは,2020年には ケンブリッジ大学(University of Cambridge)へ再編される計画になっている.

 諸根氏は,2015年5月に渡英して,MRC-TUの"Electron Microscopy & Ultrastructural Pathology Group"という研究室のHeadを務めている.研究室には,諸根氏の他にResearch Officer(日本で言う技官的な役割だがTechnicianとは呼ばない,研究者と技官の中間)が2人と,レスター大学から数人の学生が送り込まれている.

 諸根氏は研究室の室長と,MRC-TU全体の電子顕微鏡施設の責任者としての役割もあり,TU全体の構造解析をサポートしている.MRC-TUには3台の電子顕微鏡があり,内1台はクライオTEM(Cryo-TEM, Transmission Electron Microscope, 透過型電子顕微鏡)である.諸根氏がMRC-TUに着任した当初は,SEM(Scanning Electron Microscope, 走査型電子顕微鏡)と三十年来の日本製のTEMだけがあり,クライオTEMは着任後に周囲の教授陣の温かいサポートのもとで導入した.図2の写真は,クライオTEMのインストール風景である.


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図2 MRC Toxicology Unitへのクライオ電子顕微鏡のインストール風景


 MRC-TUにおける諸根氏の役割は,薬剤がナノレベルの構造でどう働いているかを解析することである.薬の投与による動物の組織や細胞の構造変化を,電子顕微鏡を使って観察し,良くなったのかを評価して調べる.STEM CELL(幹細胞,ES/iPS細胞など)であれば,初期化のメカニズムがどうなっているのか? 代謝学,免疫学などでは,それぞれの分野で関係している薬の機能を,組織,細胞及び分子レベルで解明する.

 したがって,基礎研究ではあるが,当該領域の世界的な企業とも,強固にリンクして研究に取り組んでいる.例えばクローズドな話し合いの場には,CEOが来てプレゼンし,品証データはあるのだけれどもメカニズムが分からない.特許の関係があるので化合物の構造詳細は出さないが,MRCの研究ポテンシャルを示すプレゼンを見て,メカニズム解明に必要なら研究資金をその場で即決して出す.学生やポスドク研究員への奨学金も出資したりしている.

 研究費は,MRCの研究資金に加えて,Welcome Trust財団(イギリスに本拠地を持つ医学研究支援等を目的とする公益信託団体)にレスター大学の教授と共同で応募したりしている.私的な財団だが,大きな資金を提供しているためか,MRCとWelcome Trustの名が並んで刻印されている建物をよく見かける.クライオTEMの購入には億単位の資金が必要であるため,この規模のグラント申請が欠かせない.


1.3 諸根氏は望みの研究のできる場所を求めてMRCへ

 諸根氏は,1999年に京都大学で“合成・生物化学(Synthetic & Biological Chemistry)”専攻の博士課程をおえた.博士課程では,当時汎用されていなかった細胞への遺伝子導入試薬の開発を目指して,高分解能NMR(Nuclear Magnetic Resonance, 核磁気共鳴)を使って化合物のデザインを評価していた.ただ当時はS/Nがさほど良くなかったので高濃度の試薬を必要とし,解析作業は簡単ではなかった.一方,電子顕微鏡を使うと1枚の写真でも何か普遍的なことを見つけられるかもしれない,と感じていた.そこでポスドクになってからは,電子顕微鏡を専門にして生きていこう,と決意した.

 博士号取得後は,JST(Japan Science and Technology Agency,科学技術振興機構)のERATO(Exploratory Research for Advanced Technology,創造科学技術推進事業)プログラムで,名古屋大学理学部及び医学部へ移った.そこで,電子顕微鏡のイロハを教えてもらった.その後,三菱化学生命科学研究所を経て,厚生労働省所管の国立精神・神経医療研究センター神経研究所では室長になって自分の研究室をもった.

 渡英する直前は,京都大学の物質-細胞統合システム拠点:iCeMS(アイセムス)に講師として参加した.iCeMSは文部科学省の「世界トップレベル研究拠点」WPIプログラムの5拠点の1つで,多孔性金属錯体の北川進教授が拠点長,ES細胞の中辻憲夫教授が設立拠点長,iPS細胞の山中伸弥教授も在籍されていた.「お三方の先生から魅力的な試料をいただけた為か,ノーベル賞も近くで感じられ,研究の面白さが分かった」とのことである.

 iCeMSは国際研究拠点でもあり,諸根氏の上司はProf.John Heuserだった.Heuser教授は,急速凍結の生体試料を電子顕微鏡で観察する手法の発案者であり,米国National Academy of Sciences会員である.「Heuser先生と一緒に研究したかったので,京都大学にまた戻ってきた.この拠点は,国際的なキャリアパス形成の場でもあった.そうした中で,英国MRCに応募して面接を受け,MRC-TUのパーマネントのポジションを得た.国際的な人脈ネットワークを持つHeuser先生に出会わなかったら,イギリスに行くことはなかったと思う.もちろん,MRC-TUのニーズと私自身の経歴がマッチしていたのが幸いですが」と諸根氏は語った.


2.3D電子顕微鏡による医学生物学研究

 MRC Toxicology Unitでは3台の電子顕微鏡を使って,生体分子~組織レベルにわたる3つの構造解析手法を実施している;

①クライオTEMによる分子構造解析
②SBF-SEMによる組織レベル観察
③Freeze-Replica法による分子~組織つなぎ観察

以下①~③の順に,研究内容と観察・解析例を紹介する.


2.1 クライオTEMによる生体分子の構造解析

 クライオ電子顕微鏡は,生体内の分子や細胞の構造を生のまま凍らせて観察するもので,高分解TEM装置内に急速凍結試料用のクライオホルダーを組込んでいる.電子線照射による画像ドリフトや低温での観察ステージの安定性など開発ポイントは多岐にわたり複雑だ.

 クライオTEMでは,精製したタンパク質を凍結し,凍らせたまま電顕で観察するので,実際に観察試料を用意してフィードバックしながら装置を開発する必要がある.そうした生物系クライオTEMの技術開発では特にユーザーの関与が求められ,多くの場合,1号機の開発はMRCのLMB(Laboratory of Molecular Biology)[5]で行われたようだ.このような新しい電子顕微鏡技術開発の場所となってきたので,MRCは生物系の電子顕微鏡の一大中心地とされている.

 生体試料を原子レベルで構造解析しようとすると,以前は結晶化して回折像を見るしかなかった.しかし,ヒト由来も含めて,膜タンパク質は,結晶化しにくいものが多い.そこで,結晶を作製することなく3次元構造解析ができる“単粒子解析(Single particle analysis)”が開発及び改良されてきた.精製したタンパク質を凍結させて,1万~10万個程度のタンパク質複合体粒子をクライオTEMで撮影して見ると,色々な方向を向いているので,それらを分類し計算処理して,3次元構造を出すことができる.この方法だと,結晶化できないタンパク質の構造情報を得ることができる.

 図3はMRC-TUに導入したFEI社製のクライオTEMの凍結装置の写真である[6].FEIはアメリカの会社だが,オランダに装置開発の本拠地があり,英国との時差は1時間しかなく連絡を取りやすい.早ければ,その日の問題はその日のうちに解決できる.図3中央にあるVitrobotという装置で液化エタンに浸漬凍結し,-180℃に冷却してクライオTEMで観察する.


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図3 クライオ電顕観察のための凍結装置 [6]


 従来のクライオ電子顕微鏡法では,照射ダメージを軽減するために少ない電子線量で観察する必要があり,像のコントラストは極めて乏しい.加えて,氷包埋試料に電子線があたると,タンパク質がドリフトして観察像がボケて分解能を低下させてしまう.ところが,2013年12月にNatureに掲載された論文では,電顕用のCMOS(Complementary Metal-Oxide Semiconductor)カメラを,電子線のdirect detectorとして利用して,この問題を克服した[7][8][9].以前は,電顕用カメラには電子線を光に変換するシンチレータがついていたが,それがなくてdirect detectorとして使えるようになった.direct detectorでは,微弱な電子線でもムービー撮影して構造がとらえられる.つまり,ドリフトした像であっても動画を戻してボケを解消する技術ができた.このように改良された新しい単粒子解析法は,エックス線及び電子線による結晶構造解析(Crystallography)でしか到達できなかった3Å分解能の世界に入った.イオンチャネルのタンパク質を構成するアミノ酸側鎖の構造をみごとに解き明かした.

 ごく最近,製薬企業がクライオTEMによる単粒子解析技術に興味を示すようになってきた.その理由は,生物系電顕の世界にあった“3Åの壁”と関係があり,3年ほど前に単粒子解析でこの壁を越えたからである.“3Åの壁”を越えると,アミノ酸の側鎖が見えてくる.したがって,これまで結晶化できなかったタンパク質に対しても,薬剤の評価,デザインの開発に使える可能性が出てきた.昨年には,ケンブリッジ大学を中心に薬学コンソーシアムができて,MRC-LMBのサポートの下,製薬企業5社がクライオ電子顕微鏡を共同でインストールして使っている.今後,現在の改良された単粒子解析法は,アカデミックな領域から製薬産業界に普及拡大する可能性がある.何十年かぶりに,今,生物系電子顕微鏡法は世界中でホットな話題になっている.アメリカのNIHでも,単電子解析に予算を沢山つぎ込んでいるようだ.

 MRC-TUでは,FEIのCMOSカメラを使っている(FEI社は2016年,Thermo Fisher Scientific社の傘下に入った).クライオTEMでは高分解能の画像取得が要求されるので,ステージの振動は厳しく抑える必要があり,FEIはその面でも幾分か優れている.日本のCMOSカメラの技術は世界一で,スマホやデジカメ用CMOSカメラは殆ど日本製である.「今こそ日本のメーカーが,電顕用CMOSカメラやクライオTEM装置に国際的に参入するチャンスだと思う.」と諸根氏は期待を込められた.以前,我が国でも超伝導レンズが考案され,それを使った電子顕微鏡が開発された.超伝導を使うため,試料は自動的に凍らせることが出来た.今後,このような技術を応用した新展開が期待される.80~90年代には,世界の至る所で日本製の電子顕微鏡が鎮座して,日本からの留学生・ポスドクを迎えてくれたと聞くが,その再演が来るのだろうか.

 もう一つの進歩は,3次元構造解析アプリケーションである.単粒子解析で色々な方向を分類し,最終的に一つの3次元構造に嵌め込むアプリである.最近では,MRCに所属する研究者が開発した“RELION”と呼ばれるソフトウェアで解かれたタンパク質複合体の分解能が向上している.毎月のように,世界的に権威のある学術雑誌の表紙を賑わせている.Direct electron detectorの開発と構造解析アプリケーションの開発等々により,一気に“3Åの壁”が越えられた.

 図4は,諸根氏の共同研究者がおこなった,RELIONを使って解かれたタンパク質(Respiratory complex I)の単粒子構造解析の例で,分解能としては5Åである[10].結晶化しないタンパク質でも,非常に細かい構造まで見えるようになった.薬がタンパク質のどの部位に結合しているか,薬なしでの構造情報との差分をとれば予想がつくので,薬のデザインの道が拓かれつつある.


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図4 クライオ単粒子解析によるミトコンドリア関連タンパク質の解析例 [10]


2.2 生物試料の組織レベル観察にSBF-SEM

 生体組織の大きな(㎜単位)3次元像の構築はSBF-SEM(Serial Block Face-Scanning Electron Microscopy)によって可能になる.図5に描いたように,樹脂で固めた試料の表面を,SEM装置の中に組込まれた小さなミクロトームで薄い切片に切り(Slice),その新しく露出した表面を真空チャンバーの中で,上から電子ビームをあててスキャンして反射電子像を観察する(View).Slice & Viewを繰り返し,切っては見る,切っては見るを繰り返す(Gatan社のHP[11]での動画参照).こうして試料の連続断層像を取得してから,3次元構造をコンピュータで再構築する.分解能は数十nmで解析できる.


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図5 SBF-SEMでのSlice & View [11]


 クライオTEMで分子を観察し,SBF-SEMで組織まで見る.この両方を使って分子から組織まで統合的に観察することで,薬剤の機能を構造変化として評価する研究(Toxicology)を,諸根氏がMRC-TUで求められている.本来は一つのラボでやるよりも,別々に実験してそれをまとめて評価する方が効率的であるのだが,段々技術が成熟し,解析プログラムも充実してきたので,挑戦することにしたという.MRCやレスター大学,ケンブリッジ大学には協力者も多く,それを可能にする環境が整っていることも幸いしている.

 図6は,MRC-TUに導入されているSBF-SEM装置(左,FEI社製)と3次元構造再構築システム(右,Gatan社の3ViewII)の写真である[6].


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図6 SBF-SEM装置(左)と3次元構造再構築システム(右)[6]


 図7は,SBF-SEM装置と3次元構造再構築システムを使って,腫瘍リンパ球のオルガネラを観察した例である.30µm×30µmのサイズで見ている.代謝に関係する研究では,細胞を切っていって,核を見つける.真中に黄色の核があって,周りにミトコンドリアなどの何種類かの細胞小器官が配置されている.これらの配置や体積が,薬剤の投入前後で変化するのを定量評価できる.


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図7 SBF-SEMによる腫瘍リンパ球オルガネラ3次元構築例 [6]


 視覚的にも訴えられるので,こうした観察は,製薬会社の人には受けが良い.しかし,分解能はそう高くないので,先ずはSEMで見ておいてから,次にクライオTEMでタンパク質の分子レベルで詳しく調べる.「組織から分子までつなげる,世界的にも皆さんそうできれば良いと思っていても,なかなか現状では別々の研究室でやっているので繋がらない.定量データとして,ボリュームがどう変わっているとか,可視化と定量的な構造情報が組織・細胞・分子レベルで統合的にリンクできる.それが,これからのToxicologyだと思います.」と諸根氏は力説した.


2.3 Freeze-Replica法による分子~組織つなぎ観察

 Freeze-Replica法では,急速凍結した試料の細胞の構造をTEMで見る時に,白金(Pt)のレプリカ(数nm厚)を調製して,それを観察する.Ptレプリカは電子線耐性があるので,電子線照射による細胞の損傷を気にしないで済む.1980年代にHeuser教授が確立した手法で,諸根氏が日本にいる時にiCeMSで取組んでいた.Freeze-Replica法の研究者は徐々に減っており,今では国際的にも本手法をやっている人は10人程しかいない.しかし,本手法は正にToxicologyが抱えている課題に適している.何故ならば,Toxicologyで求められている様々な試料を細胞や組織の状態で観察できるからである.

 図8は,MRC-TUに導入されているFreeze-Replica法向けのレプリカ作製装置(左,日本電子製)と,急速凍結装置(右)である.液化ヘリウムで冷却した純銅ブロックに圧着させることにより,細胞を瞬時に急速凍結させる.高真空下で凍結状態を保ち,Ptを吹き付けてレプリカを調製してTEMで観察する.凍った試料を割断して,タンパク質が裸出した表面にPtを吹付ける.


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図8 Freeze-Replica作製装置(左,日本電子製)と,急速凍結装置(右) [6]


 レプリカ作製の時は,サンプルを回転させながら(rotary shadowing),20度の傾きでPtを被せ,その後に補強のためにカーボン(C)を被せる.DNAの時は5度にする.レプリカ内に残っている細胞は,次亜塩素酸などで溶かし,Ptだけで形をとった薄膜試料をTEM観察する.細胞の中のフィラメント構造とか,1つの神経軸索が見える.SEMより高い5nmの分解能で,立体視できる.タンパク質の精製が起きているところの細胞小器官,ゴルジ体が見える.分解能5nmは,クライオTEMの単粒子解析より一桁悪いが,SEMと単粒子解析の中間の分解能なので,両者の間のつなぎになる.クライオTEMで分子を見て,SBF-SEMで組織を見て,その中間をつなぐ分解能でFreeze-Replica法で見ている.

 Freeze-Replica法では,細胞膜の内側表面の微細構造を観察できるのが特徴である.SEMやTEMでは,細胞膜の内側を見ることは難しい.図9は,Freeze-Replica法で細胞膜内側を観察した例である.赤緑のステレオメガネ(左目が赤)で見ると,立体視できるように調整されている.細胞膜は,薬が入ってきて最初に構造が変化する場所である.細胞膜の内側は滑らかではなく,外から来たものを取り込む構造がある.薬を細胞の中に取り込む様々な構造が,線維組織で覆われている細胞膜の内側にある.薬剤の投与で,どのように細胞構造が変化するかをFreeze-Replicaで見ることができる.細胞膜の内側にあるこうした構造は,ヒトだけでなく哺乳類が持つ普遍的な構造で,大変重要である.この構造を見ることが出来るのは,Freeze-Replica法だけである.細胞膜には微小な起伏(アンジュレーション)があって,Tomographyでは平均化されて可視化されにくい.Freeze-Replica法ならできるが,Freeze-Replica法をやれる人が少ないので,これをToxicologyに使うという発想がなかった訳だ.


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図9 Freeze-Replica法による細胞膜内側表面の3次元観察例 [6]


3.分子から組織までの統合Toxicologyを目指して

 MRCのToxicology Unitでの今後の抱負,そして2年間を経ての英国の印象を諸根氏は次のように語った.


3.1 3種の電子顕微鏡を駆使した統合Toxicology

 前章で説明してきた①Cryo-TEM,②SBF-SEM,③Freeze-Replica法,のそれぞれを専門にしている人はいても,3つとも扱える人はいない.それを1人でToxicologyに使うのは難しいと言われるかも知れないが,同じ研究者(研究グループ)が同じコンセプトで3種の電顕観察をした方が,解析結果を統合的に理解することが容易な場合もあろう.スタッフが3人のラボでやるのは大変なので,もう少し大規模にやりたいところではある.代謝系や神経変性疾患で,細胞死に関係する分子が組織までつながって,分かり易く見ることができれば,と思っている.大雑把に組織だけ観ても言えることは限られているし,分子だけ見ていても,構造情報が限られている場合もある.何か一つでも繋がることを示せれば,理解者が増えて大規模に展開できるのではと思っている.

 日本にいる時から,このような統合的Toxicologyを本当はやりたかった.それが今回,英国MRCのToxicology Unitで取り組むことができそうである.MRCは電子顕微鏡の聖地であり,電子顕微鏡による構造解析が重要だと,研究者が皆,理解してくれる.MRC-TUに赴任した時はSEMしかなかったが,分子から組織までを統合的につなげる統合的なToxicologyを提案するに至り,クライオTEMを導入してくれた.Cambridgeの人達にも協力してもらい,FEIのサポートもあったので,クライオTEMの立上げもやり遂げられた.MRCからの期待を裏切らないように頑張りたい.日本の単粒子解析に携わる研究者の皆様にも大変助けられた.この層の厚さは,国際的にも素晴らしい.2017年秋には,微力ながら,日英構造生命科学フォーラムをレスターで開催する予定だ.


3.2 英国での研究生活

 渡英してから2年近く経った.イギリスでは,Originalityが最重要で,アイデアを出すことを大事にしていると日々感じる.研究者はどっしり構えて,慌てない.本当にoriginalなところを追及している.したがって,プレスリリースは頻繁にはださないし,派手に発表することもしない.長い目で研究ができるのが良い.世界では,比較的短期間で成果を求められることが多い.しかし英国では,じっくり構えて取り組むことができる.

 教育やポジションの面でも日本と英国に違いがある.英国の教授職Professorshipは,研究業績があることは勿論必要だが,それだけではなく,その人そのもの,人間性を重視しているようだ.会議でもリードして皆から意見を引き出して,結論をまとめていける力が評価される.イギリスの学生は非常に礼儀正しく,自信に満ち溢れている.ポスドクとなると余裕というか自分の研究に自信を持っており,将来に対して何の不安も感じてない様子で,日本とは大違いである.イギリスでは学位を取るのが早く,修士課程をスキップしたり,26歳で学位をとって30歳前にはグループリーダーになっている.40歳位で,堂々とした教授の印象を受ける.

 MRCの重要なミッションの一つが,医学・生物学界での若手人材育成になっていて,図10に描いたような育成プログラム,奨学制度が充実している[12].大学へのMRC研究資金提供を通じてのポスドク,MRC研究所群での研究スタッフだけでなく,毎年1900人のPhD大学院生,200人のポスドクに対して奨学金を提供している.


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図10 MRCの若手人材育成プログラムと奨学支援制度 [12]


おわりに

 電子顕微鏡による生体分子の3次元立体構造解析技術は,近年急速に進展しており,生命科学や医学・薬学の進歩に貢献している.英国MRCは,生物系電子顕微鏡の聖地である.その聖地に,諸根氏は飛び込んだ.0.3nm分解能のクライオTEM,5nm分解能のFreeze-Replica法,数十nm分解能のSBF-SEMを駆使して,分子レベルから組織レベルまでつなげて見て構造解析する“統合Toxicology”に挑戦している.諸根氏の穏やかでゆったりとした語り口に,今後益々の発展,活躍を予感した取材であった.


参考文献

[1] 英国MRC,HP;https://www.mrc.ac.uk/
[2] "医療研究開発における新たな日英協力"(2017年2月)
https://www.gov.uk/government/world-location-news/new-uk-japan-collaboration-on-medical-research-and-development.ja
[3] MRC Annual Report and Accounts 2015/2016
https://www.mrc.ac.uk/publications/browse/annual-report-and-accounts-2015-16/
[4] 英国MRC Toxicology Unit,HP;http://tox.mrc.ac.uk/
[5] 英国MRC Laboratory of Molecular Biology,HP;http://www2.mrc-lmb.cam.ac.uk/
[6] 英国MRC Toxicology Unit,Science Facilities,HP
http://tox.mrc.ac.uk/facilities/nobu-work/
[7] Maofu Liao , Erhu Cao , David Julius, and Yifan Cheng, "Structure of the TRPV1 ion channel determined by electron cryo-microscopy", Nature, Vol. 504, No.7478, pp.107-112 (2013)
[8] Erhu Cao , Maofu Liao , Yifan Cheng, and David Julius, "TRPV1 structures in distinct conformations reveal activation mechanisms", Nature, Vol. 504, No.7478, pp.113-118 (2013)
[9] Richard Henderson, "Structural biology: Ion channel seen by electron microscopy", Nature, Vol. 504, No.7478, pp.93-94 (2013)
[10] Kutti R. Vinothkumar, Jiapeng Zhu, and Judy Hirst, ""Architecture of mammalian respiratory complex I.", Nature, Vol. 515, No. 7525, pp. 80-84 (2014).
[11] 3View Serial Block-Face Imaging,Gatan社のHP
http://www.gatan.com/products/sem-imaging-spectroscopy/3view-system
[12] How MRC supports research careers, MRC Skills & Carreer HP
https://www.mrc.ac.uk/skills-careers/how-mrc-supports-research-careers/


(尾島 正啓)


「10-9 INNOVATIONの最先端」 企画特集は, NanotechJapan Bulletin と nano tech のコラボレーション企画です. nanotech2018_banner.jpg