(本ページの記載内容は、S&T Journal 2002年12月号掲載当時のものです。)

わかる入門講座:ナノテクの世界、その12
ナノテクノロジーの将来
独立行政法人 物質・材料研究機構 ナノマテリアル研究所 所長 青野 正和

はじめに

 本年一月号から連載してきた「ナノテクの世界」も今回が最終回となった。この連載によって、ナノテクノロジー(超微細技術)とはどういうものか、それはどのような未来を拓くか、その現状はどうなっているかを知っていただけたと思う。

  最終回にあたり、「ナノテクノロジーの将来」と題する展望を書くようにというのが編集部からの依頼である。総合科学技術会議においてナノテクノロジーが環境、ライフサイエンス、情報技術と並ぶ重点研究分野として選ばれた今日、類似の記事は他でも多く書かれているので、ここでは十数年にわたってナノテクノロジーのフロンティアを走ってきた筆者の視線で、少し違った角度から語ってみたい。

あおの まさかず
1944年4月20日生まれ。東京大学大学院工学系研究科治金学専攻博士課程修了 。工学博士。1972年科学技術庁無機材質研究所(現・独立行政法人物質・材料研究機構)入所。同所主任研究官、理化学研究所主任研究員、大阪大学大学院工学研究科教授を経て2002年8月から現職。大阪大学大学院工学研究科精密科学専攻 教授を併任。

科学技術と未来予測

 さて、「ナノテクノロジーの将来」の将来とは何年位先のことを指すと読者は考えられるであろうか。ある読者は十年先を想定されるであろうし、二十年、三十年先を思い描かれる読者も多いであろう。しかし、二十年、三十年先の科学や技術を予測することは不可能と言ってよく、十年先の予測さえ難しい。これは言い訳ではなく事実である。実例を挙げればよく分かる。

  最近のナノテクノロジーの研究において最も熱い視線を浴びている物質は、カーボンナノチューブであると言って過言でなかろう。それは、将来のナノエレクトロニクスデバイス、映像ディスプレー、燃料電池用水素貯蔵、超高強度複合材料など多くの分野でブレークスルーをもたらすと期待され、世界中でフィーバーと言えるほど盛んな研究が進められている。

  しかし、カーボンナノチューブが飯島によって発見されたのは約十年前に過ぎず、それ以前には誰もこの物質の存在を知らなかったのである。また、今日では原子や分子を一個ずつあたかも指先で摘むように操ってナノスケールの構造を積木細工のように構築することが当然のことのように行われており、それが今日のナノテクノロジーの重要な柱になっているが、その最初のデモンストレーションがアイグラーによって行われたのは約十年前に過ぎない。

  しかも、これを可能にし、かつナノテクノロジーの発展の起爆剤となったビーニックとローラーの走査トンネル顕微鏡(STM)の発明はその約十年前に行われた。それ以前には人類が原子を一個ずつ操れるようになるとは誰も予測しなかったのである。このような例は枚挙にいとまがなく、むしろ未来予測が困難なことが科学や技術の本質的側面であるとさえ言える。

  科学や技術の発展に大きな足跡を残した人達はこの事情を折りに触れて強調している。ナノテクノロジーに関係の深い人物のそのような言葉を紹介しておこう。

  「Tomorrow is not a simple extrapolation of today(明日は今日の単純な延長ではない)」とはSTMの発明によってノーベル賞を受賞したローラーがいつも強調する言葉である。

  ゼロックス社のパロアルト研究所を創設したペイクの 「The best way to predict the future is to create it(未来を予測する最良の方法はそれを創ることである)」という言葉は、筆者の座右の銘の一つであるが、これは同じことの逆説的表現である。

  C60分子などの発見でノーベル賞を受賞したクロトーは、先日の講演で次の趣旨のことを強調していた。「富士山に登ることを計画して苦労して頂上に立ったところでそれは単にそれだけのことであり、科学や技術の著しい進歩とは計画を外れた予期せぬ発見や発明によってもたらされるのである」

夢を持たせる米国の目標

 ナノテクノロジーの将来という時、今日の延長線上に何が期待できるかを予測するだけでは不十分である。十年後、二十年後、その予測は恐らく外れているに違いない。

 筆者のようなナノテクノロジーの研究に携わる者はむしろそうなることを望み、そのきっかけを自ら創り出すことを目指して研究に励んでいるのである。ナノテクノロジーの未来予測に関する最近の解説記事は、今日の延長線上に何が期待できるかを述べていることが多い。

 その意味では、二〇〇〇年一月に米国大統領によって出された教書「国家ナノテクノロジー優先施策(National Nano-technology Initiative :NNI)」に示された具体的目標(表1)は、今日の延長線上で期待できるものだけでなく、大きいブレークスルーがなければ達成できないものをバランス良く組み合わせ、一般大衆にも理解でき、かつ夢を与える米国らしいキャッチフレーズ的なものになっている。我が国の学会も行政も学ぶべきところが多い。これについては後で再び述べる。

 ところで、米国のNNI教書は、クリントン大統領(当時)がカリフォルニア工科大学において発表したものであるが、奇しくもその丁度四十年前、同じカリフォルニア工科大学においてファインマン(朝永、シュインガーと共に量子電気力学の研究でノーベル賞を受賞)が「There's plenty of room at the bottom(重箱の隅にも大きい世界あり(筆者訳))」と題する歴史的な講演を行った。 

 この題名は、英語国民ならよく使う諺をそのまま用いたものであるが、冗談好きのファインマンは「bottom」という語で小さな寸法の世界を表現し、そこには科学や技術の新しい展開が可能な大きい世界があることをこの諺を用いて表現した。この講演で彼は多くのことを述べたが、象徴的なメッセージとして「コンピューターのビットを原子一個にすることに何の物理的障害もない」と言い切った。 

  この講演は、今日のナノテクノロジーの勃興を予見したものであるが、当時の人々は「ファインマンさん、ご冗談でしょう。理論的には可能かも知れないけれど、そんなことを実現する技術がないじゃないですか」と、余り注目しなかった。この講演が注目を集めるようになったのはその約二十年後に画期的な新技術としてのSTMが発明されてからである。

テラビットの何倍もの記憶容量を実現して連邦議会図書館の全蔵書を角砂糖の大きさに収める。
原子や分子を1個ずつ操って物質や材料をボトムアップ方式で組み立てる。
鉄より10倍も強い新材料を開発して全ての乗り物を軽くして燃費を下げる。
コンピューターの計算速度などを100万倍以上あげる。
がん細胞を検知してそこを狙い撃ちして遺伝子や薬物を送り込む。
空気や水から極微量の不純物さえ取り除く。
太陽電池のエネルギー効率を2倍にする。
* 米国大統領のNNI教書(2000年)が見事なリストアップをしているので、あえてそれを再記した。

表1:ナノテクノロジーがもたらす新技術

「超集積」、「超機能」、「超敏感」

 さて、ファインマンの時代とは較べものにならない今日の技術水準を背景にして、ファインマンのような素直な視線でナノテクノロジーの将来について考えてみることは意味があろう。
 そもそも、ナノのような小さな寸法の世界に入ると一体どんな良いことが起こるのであろうか。それは表2に示した「超集積」、「超機能」、「超敏感」の三つである。

 コンピューターエレクトロニクスによって支えられている我々の情報通信社会は、半導体デバイスの集積度の増大と共に質的に変化してきたが、それは一個のデバイスの大きさが原子数にして百個のオーダーになるまでは少なくとも続くと期待できる。ただし、今日の主役であるCMOS(相補型金属酸化膜半導体)デバイスの微細化は約十年後に原理的な限界に達するので、その延長線上ではなく、微細化がさらに可能な新しい原理で動作するデバイスの開発が必要であることは言うまでもない。

  その方向の研究は、すでに活発に進められており、研究の進展は期待より遅いとはいうものの、最近になって幾つかのブレークスルーが現れ始めていて楽しみである。表1の「数テラ(テラは一兆)ビットの情報を角砂糖の大きさに納める」ことは遠くない将来に実現できよう。これが表2の「超集積」の主な意味であるが、単なる集積度ではなく、どのように集積するかというアーキテクチャーの問題も「超集積」には重要な側面として含まれている。デバイス間の配線を要しないセルオートマトンによる論理演算回路の実現などがその例である。

  電子は、粒子と波動の性質を併せ持ち量子力学の法則に従って運動するが、その波長より大きい従来のミクロンスケール(百万分の一メートルスケール)のデバイスの中では電子は古典力学に従って運動するとみなして構わなかった。しかし、ナノスケールの世界では、電子の波動としての性質が顕わになり、量子力学的効果が全面に現れてくる。その結果、従来は見られなかった新しい機能が出現する。表2の「超機能」は主としてそれを指している。電線に電気抵抗がなくなる、電気抵抗が離散的な値しかとらない、電子一個の運動が制御できる、規定の波長の光が放出される、非磁性原子を集めて磁石が創れる、等々が例である。

超集積

【桁違いに増大する集積密度】
超高密度メモリー、超高密度ナノエレクトロニス(単電子エレクトロニクス、分子・原子・スピンエレクトロニクスなど)

【多様化される集積形態】
量子ドット鎖、量子ドット結晶、量子セルオートマトン、ナノ超格子、ナノ磁性体結晶、ナノ複合材料、新機能触媒、超機能
超機能 【量子効果による新機能発現】
量子効果ナノデバイス(単電子デバイス、分子・原子・スピンナデバイスなど)、ナノ発光材料、量子ドットレーザー、ナノ磁性体
【近接効果による新機能発現】
単電子デバイス、量子ドット鎖、量子ドット結晶、ナノ磁性体結晶、巨大磁気、抵抗素子、スピンエレクトロニクス、量子セルオートマトン、量子コンピューター
【サイズ効果による新機能発現
ディスプレー電子源、水素吸蔵体、ドラッグデリバリーシステム(以上、フラーレン、カーボンナノチューブ、グラフェンなど)、超高強度材料、新繊維、ナノ多孔体
超敏感 【力学的に極限的に敏感】
ナノメカニカルデバイス(分子検出、分子認識、生体分子力学計測など)
【化学的に極限的に敏感】
化学センサー、バイオセンサー
【電気的に極限的に敏感】
単電子検出器、単スピン検出器、磁気共鳴顕微鏡

表2:小さく(ナノに)すると何が起こるか

数十億年かかる計算が僅か数分に

 これらの "異常な"「超機能」は新しい原理で動作するデバイスを設計し構築する上で貴重な材料となる。将来は、様々な原理で動作するデバイスが適材適所で用いられた新しいエレクトロニクスの世界が実現されるに違いない。「超機能」の重要な側面として、ナノスケールの近接効果およびナノスケールのサイズ効果が新しい機能を生み出すことがあるが、ここではそれらの詳細は省略する。

 さて、ここでいうデバイスとしては従来の「ノイマン型コンピューター」の範疇でのデバイスを想定しているが、いま世界的に熱い注目を浴びているのは全く異なるアルゴリズムの「量子コンピューター」を実現するためのデバイスである。 

  量子コンピューターとは、ノイマン型コンピューターとは桁違いに多くの並列計算が可能な超高速コンピューターである。今日、二百桁の数値を因数分解しようとすると最速のコンピューターでも数十億年を要するが、量子コンピューターを用いれば数分で可能となる。

  量子コンピューターの実現に関しては二十年や三十年先でも難しいという意見が多いが、適切な量子ビット(キュービットと呼ばれる)の列を今日あるいは明日のナノテクノロジーを駆使して創りうる可能性は低くなく、量子コンピューターの実現は人々が予測しているほど長い時間を要しないかも知れない。表1の「コンピューターの計算速度を一〇〇万倍以上あげる」とは量子コンピューターの実現を想定しているのであるが、それはサイエンスフィクションでは決してない。

  ナノスケールの極小の物体は、外界からの微少な信号に対しても非常に敏感に応答する。たとえば、ナノスケールの厚さの片持ち梁がその表面での化学反応に応答してたわむことを検知することがすでに可能になっている。実際、異なる分子をホスト分子として被覆した数本の片持ち梁を用いて犬の嗅覚より一千倍以上も敏感な人工鼻が実現されている。

  さらに、一個の分子が吸着したことによって生じる固有振動数の変化さえ検出しうる片持ち梁も作製されている。これらが表2の「超敏感」の主な意味である。より敏感なナノシステムを作製する余地はまだ十分にあり、分子検出や分子認識の技術は今日の延長線上でもまだまだ続くであろう。表1の「空気や水から極微量の不純物さえも取り除く」とはこのことを象徴的に表現している。

21世紀のキーテクノロジーに

 ナノのような小さい世界に入ると一体どんなことが起こるかを「超集積」、「超機能」、「超敏感」の立場から眺めた。そこでは分かりやすい一、二の例のみを挙げて説明したが、ブレークスルーが期待できる分野はもっと広い。それらをいちいち列挙することは可能であるが、あまり意味があるとは思えないので表2の詳細にゆずることにし敢えて省略した。本稿の前半で述べたように、明日は今日の単純な延長ではないからである。

 はっきり言えることは、「ナノテクノロジーは間違いなく二十一世紀のキーテクノロジーである」ということである。より正確に言えば、ナノテクノロジーは二十一世紀の情報技術、バイオ、環境などの発展を支える共通基盤の不可欠の技術体系、知識体系としてその役割を果たすであろう。

(本ページの記載内容は、S&T Journal 2002年12月号掲載当時のものです。)


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