(本ページの記載内容は、S&T Journal 2002年1月号掲載当時のものです。)

わかる入門講座:ナノテクの世界、その1
ナノテクノロジーとは
独立行政法人 物質・材料研究機構 理事、材料研究所長 吉原 一紘

ナノメートルってどのくらい

 ナノテクノロジーとは、物質の特性を決定する構造(例えば、結晶の大きさ、膜の厚さ、粒子の直径など)の少なくとも一つが、ナノメートル(nm:1メートルの10億分の1)で定義できる大きさを持った物質を創製すること、及びそれらの物質を組み合わせて、コンピューターや通信装置、微小機械などを創製する技術である。

  1790年にフランスの立憲国民会議は、当時ばらばらだった長さの単位を統一するために、自然に準拠した10進法の長さの単位を決定する事を決議した。それから約100年後の1885年にメートル条約が結ばれて、地球の子午線長の4千万分の1を1メートルとすることが決まり、メートル原器が作られた。当時、メートルという単位は様々な装置や建築物を取り扱うには便利な単位であり、第2次世界大戦までは、装置や部品を作る場合には、その千分の1(mm:ミリメートル)の精度で制御しておけば、ほぼ問題はなかった。第2次世界大戦後、半導体産業が出現すると、装置や部品の精度はミリメートルの千分の1(μm:マイクロメートル)が要求されるようになり、高速の通信、大量の情報処理などができる高度情報化社会を造りあげることができた。すなわち、今の生活はマイクロテクノロジーに基づいていると言えよう。

  我々は常により快適な生活を求めている。しかし、それを実現するための技術は、地球環境に負荷をできるだけ与えないものでなければならない。そのためには、例えば通信方法は、より高速でかつエネルギーを消費しないものになるであろう。また、コンピューターに対しては、より高密度に情報を蓄積し、より高速で処理することが要求される。一方、医療関係では患者にできるだけ苦痛を与えずに治療を行うことになる。このような要求を実現するためのキーワードは「小さいことはいいことだ」である。このためには、さらにマイクロメートルの1000分の1(nm:ナノメートル)の精度で部品や装置を作り出す技術が要求される。この技術が今日開発の必要性が叫ばれているナノテクノロジーである。図1には長さの単位とそれに対応する生物と物質・材料の大きさが記されている。1nmとは原子3個を並べたほどの大きさであり、ウィルス1個の大きさは数十nmである。すなわち、ナノテクノロジーとは原子や分子を操作して、人工的にウィルス程度の大きさの構造の物質を作製し、その構造を組立てて、あらたな部品や装置を創出する技術と考えれば良い。

よしはら かずひろ
1943年東京生まれ。東京大学工学部卒。工学博士。専攻は、表面解析。東大工学部助手、科学技術庁金属材料技術研究所極限場研究センター長、独立行政法人物質・材料研究機構ナノマテリアル研究所長を経て2002年から現職。

図1:ナノスケールの大きさを示す。長さのスケールにあわせて、対応する生物と物質・材料を示している。1nmは原子3個ぐらいを並べた長さである。

ナノメートルの精度で部品や装置を作るにはどうするの

 1980年代前半にIBMのビニッヒらによって作られた走査トンネル顕微鏡(Scanning Tunneling Microscope)の発明が物質の原子構造を直接見ることを可能にした。顕微鏡の先端に取り付けられた細い針を物質に近づけていき、物質と針との間の距離がナノメートルのオーダーになると、物質と針との間に微弱な電流(トンネル電流)が流れる。この電流量は物質と針との間隔に非常に敏感なので、針で物質の表面をなぞっていくと、原子の大きさの凹凸を見ることができる。これが走査トンネル顕微鏡の原理である。図2にシリコンの表面を走査トンネル顕微鏡で観察した結果を示す。丸い一粒がシリコンの原子一個である。現在はこの顕微鏡の針で原子をなぞるばかりでなく、原子を動かすこともできるようになっている。走査トンネル顕微鏡の成果に刺激されて、この10年余りの間で、原子・分子の物理・化学的な研究、または原子レベルで構造を制御した物質・材料の研究が多く行われてきたが、原子・分子レベルで人工的・能動的に材料操作を行い得るようになったことが、研究開発手法に対し飛躍的発展をもたらした。

  ナノメートルの単位で物質の構造を制御するためには、走査トンネル顕微鏡を用いて原子を一個ずつ操作するばかりではない。例えば、分子の束を材料に照射すると、分子が材料表面で凝縮して、厚さがナノメートルの単位で制御された薄い膜ができる。また、特別な化学反応を使って、ナノメートルの大きさの直径を持つ細いチューブを作ったり、微粒子を作製したりする。さらに、電子線やX線を用いて、材料の表面に傷をつけることにより、ナノメートル単位の構造を作る。なお、最近注目されている作製方法の一つに、物質の持つ独自の性格を利用して、ナノメートル単位の構造を物質の中で自己増殖させて作る方法がある。この方法を用いると、細かい構造を一つ一つ作る必要がなく、ナノメートル単位で構造を制御した物質を自動的に作ることができる。現段階では、まだナノメートル単位で構造を制御した物質を作ることが大きな研究課題となっているが、今後はこれらを組み合わせて部品や装置としていく技術を確立することが重要となる。

図2:シリコン表面を走査トンネル顕微鏡で観察して得られた写真。丸一粒がシリコン一個の原子である。

ナノメートル単位で構造を制御した物質を作るとどのようなことが起こるの

 「角砂糖に連邦議会図書館の全書籍を詰め込む」というのは、アメリカがナノテクノロジーに本腰を入れたときのキャッチフレーズである。仮に連邦議会図書館に100万冊の蔵書があるとすると、それらはおおよそ10テラ(兆)ビットの情報量となる。現在のパソコンのハードディスクは1台でギガ(10億)ビットのメモリーを蓄えることができるが、10テラビットの情報量をハードディスクに記憶させようとすると、ハードディスクが1万台必要となる。これを1個の角砂糖の大きさに置き換えようというのがこのキャッチフレーズである。ハードディスクには磁化する領域を多数組み込んである。この領域ごとに磁化の方向を違えることにより情報を記憶させている。したがって、この領域をどんどん小さくしていけば単位面積あたりの記憶量は増えることになる。ナノメートル単位で記憶の領域を制御することができれば、このキャッチフレーズは夢ではなくなる。 

 ナノメートルサイズの構造を持った物質やシステムには新たな特性が現れることが期待されている。電子は通常の装置や部品では多量に流れるために、電流として観測される。コンピューターで計算速度を上げようとして、電流の流れの制御(ON-OFF)を高速で繰り返すと、この電流による発熱が問題となり、計算速度は限界に達してしまう。それではON-OFFを制御する電極部分をどんどん小さくして、ナノメートルの大きさにするとどうなるだろうか。電極の大きさを量子ドットと呼ばれるナノメートルサイズの大きさにすると、電極に電子が1個入っただけで、2個目の電子は入れないという性質が発生する。これを利用すると電子1個でON-OFFが制御できる単一電子トランジスタができる。図3には単一電子トランジスタの走査トンネル顕微鏡写真を示す。周囲の大きな固まりは銀の電極で、中央に数ナノメートルの大きさの量子ドットがあり、電極とは数個の原子の幅の金細線で結ばれている。この単一電子トランジスタを組み合わせることにより、高速のコンピューターを作ることができる。

 電子には固まりとして流れる性質以外に波としての性質(波動性)も持っている。波は、自分の波長と同程度の長さで配列が繰り返されているものと衝突すると、特定の方向に反射(回折)する。電子顕微鏡はこの電子の波動性を利用して、物質中の原子の並び方を観察している。電子の波長はナノメートルのオーダーなので、ナノメートルの大きさの繰り返しを持つ配列を人工的に作ってやると、回折現象を利用して電子の進行方向を変化させることができる。この原理に基づいて、電子の波を利用したトランジスタやスイッチができる。

  さらに、物質内に小さな構造を人工的に作っていくと、物質の融点や磁性などの、従来本質的だと思われていた物性を制御することができる。また分子レベルのごく小さい構造を作り込むことによって、ナノメータスケールの機械ができ、それに人体の細胞の修復作業をさせることができるなど、様々な未来が開けると期待されている。図4は炭素のナノチューブの軸にベンゼンを歯として取り付けたナノ歯車を示す。この歯車の直径はウィルスよりも小さい。これはコンピューターで描かれたもので実際に作製されてはいないが、このような歯車や、同様のスケールで様々な部品を作って組み合わせるとナノメートルの大きさの機械(ナノマシン)ができる。このようなナノマシンを作り、それに薬を乗せて血管中に入れてやると、患部に自走して行き、薬を患部のみに注入することが可能となる。

図3:シリコン表面に作製した単一電子トランジスタの走査トンネル顕微鏡写真。大きな島状の物体は銀の電極。電極間の中央に量子ドットがあり、電極と量子ドットは金のナノ細線で結線されている。金の細線の走査型トンネル顕微鏡写真(右の大きな部分は銀の電極で、左側に金の原子を並べて電線としている)

図4:カーボンナノチューブを利用した歯車のイメージ図。カーボンナノチューブにベンゼンの歯をつけた。(Nanotechnology Research Directions, Ed. By M.C.Roco, R.S.Williams, and P.Alivisatos, Kluwer Academic Publishers, (2000))

ナノテクノロジーが拓く未来はどんなもの

 図5にはナノテクノロジーが生み出すであろう新しい産業分野を示している。我々が開発した物質やシステムは氷山の一角であり、海面下にはナノテクノロジーで生み出される膨大な物質やシステムがあることを示している。

 電子産業で見ると、記憶媒体の高密度化による高密度記録素子、カーボンナノチューブなどのナノ物質を利用した高輝度ディスプレイ、量子ドットを用いた高度情報処理デバイスなどが開発される。医薬品産業では、ナノマシンを利用した特定部位薬品注入、ペースメーカーなどの埋め込み部品、拒絶反応のない人工臓器等がある。また、エネルギー産業でも、低コスト高効率太陽電池、水素貯蔵材料が考えられる。その他、製造技術産業、化学産業、宇宙産業、航空産業、環境産業などで性能を一新することができる材料やシステムの開発が考えられる。ナノテクノロジーは、情報、環境、エネルギー、医療など幅広い分野において、より快適でかつ健康な社会を21世紀に実現するための未来技術である。

図5:ナノテクノロジーが開く未来。我々が利用してきた技術は氷山の一角にすぎない。海面下にはナノテクノロジーで生み出される膨大な物質やシステムがあることを示している。

研究はどう進めるの

 ナノテクノロジーの研究の対象は、対象とする物質の大きさが単原子・単分子から数万程度の原子の集まり(クラスター)、原子の幅の線、あるいは原子の厚さの膜であり、バルク状態とは異なる物理状態を提供するため、(藤)金属、半導体、セラミックス、有機材料のような縦割り型の材料の分類、あるいは研究者集団の分類が意味を失ってきたこと、(討)したがって、物理・化学の広範な研究分野が「ナノテクノロジー」の名の下に包含可能となり、ナノテクノロジーの研究が従来の材料のカテゴリーを越えた研究者集団の融合や、異分野との交流を生み、新たな着想に基づくシーズ発見・探索に大きく寄与することとなった。すなわち、ナノテクノロジーの研究は優れて学際的な分野であり、決して一機関のみで行うような研究分野ではなく、各関連機関との連携を強化しつつ研究開発を図らなくてはならない。また、今後のナノテクノロジーに求められているのは、散在する多くのシーズの中から、将来ビジョンに従って、明確な目標設定の基で集中して研究開発を行い、ニーズに直結するための突破口となる技術を確立することである。

  20世紀は量子力学に代表される「物質の本質を観察する科学(Seeing)」が著しく発展し、「観察することは信ずることである(Seeing is Believing)」を確立してきたが、21世紀はそれを基礎として「原子スケールで物質を操る技術(Creating)」が発展する世紀である。我々はようやくその入り口に到達し、「観察することは創造することである(Seeing is Creating)」をこれから実践し、希望の物性を持つ物質をデザインして、原子・分子レベルで組立てることができる時代に入りつつある。

(本ページの記載内容は、S&T Journal 2002年1月号掲載当時のものです。)


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